小笠原流
[Wikipedia|▼Menu]
小笠原流流鏑馬(浅草流鏑馬、2010年4月撮影)

小笠原流(おがさわらりゅう)は、武家故実(弓馬故実)、弓術馬術礼法流派。また兵法煎茶道茶道にも小笠原流を名乗るものがある。礼儀作法の流派として知名度の高い流派であるが、本来的には弓術・馬術・軍陣故実・礼法などの武家社会の故実(武家故実)全般を含む。

原型となったのは小笠原氏家伝の故実であり、室町時代中期以降、小笠原氏が武家社会における故実の指導的存在となったことから、同家の故実が武家全体に重んじられた。

「小笠原流」と呼称されるものは歴史上いくつか存在し、それぞれ内容や伝えた家系が異なるために区別が必要である。現存の関係団体の中には、自系統の来歴のみを述べ、別系統について触れないものもある。また、小笠原流の歴史に関しては後世の創作や仮託が広く流布しているため、史実との峻別も必要である。大別すると以下の6種に分類できる。
室町幕府奉公衆京都小笠原氏による武家故実、弓術、馬術、諸礼法。

戦国時代小笠原長時貞慶父子による故実研究に始まり、各地に広がった故実礼法。特に江戸時代初期の水島卜也の系統は民間はじめ武家社会にも広く普及した。

江戸幕府旗本小笠原氏による武家故実、弓術、馬術、礼法の流派。もの。京都小笠原氏庶流の子孫である小笠原縫殿助家と、小笠原総領家庶流赤沢氏の子孫で小笠原に復姓した小笠原平兵衛家の2家が徳川氏に仕え故実を伝え、江戸中期に復興された流鏑馬等の諸儀式を支配した。明治維新前後に縫殿助家は絶えたが、平兵衛家が「弓馬術礼法小笠原流(小笠原教場)」の宗家として現在まで継承している。

兵法の一流派。室町時代の京都小笠原氏一族とされる小笠原宮内大輔氏隆が祖。

煎茶道の一流派。小笠原流煎茶道。

小倉藩主家である小笠原家総領家に伝わる茶道及び礼法の一流派。小笠原家茶道古流小笠原流礼法。昭和時代に第32代小笠原忠統によって民間に広まった。

本稿では1?4を中心に記述する。1.2.については#歴史参照。3.5.6.は#現存団体参照。各家系の詳細は小笠原氏赤沢氏 参照の事。
現存団体

現存の各団体の概要と来歴は以下の通り。

小笠原流の歴史として流布しているものとしては、本朝武芸小伝などの江戸時代以来の書籍や、寛政重修諸家譜等の家譜、また弓道家による書籍などである。資料間で相違する内容も多いが、以下一般的な小笠原流弓馬術礼法の伝承を主体にとして記述する。なお、これらはあくまで流派の伝承であり、歴史的裏付けがあるとは限らない。
小笠原流弓馬術礼法(平兵衛家系)「赤沢氏」も参照

流派の始祖としては、小笠原家の初代小笠原長清とするもの、7代小笠原貞宗とするもの(本朝武芸小伝等)、さらには遠祖の貞純親王とするもの等がある。寛政重修諸家譜等に見える家伝によれば、小笠原氏は遠祖の貞純親王以来の「糾法」(きゅうほう、弓馬術礼法)を代々伝え、鎌倉時代には初代の小笠原長清が源頼朝の、2代小笠原長経源実朝の糾法(きゅうほう)師範に命じられたとする。7代目の小笠原貞宗南北朝時代後醍醐天皇に仕え「弓馬の妙蘊に達し、かつ礼法を新定して、武家の定式とするなり」という御手判を賜り、このとき「弓・馬・礼」の三法をもって糾法とした。また「王」の字の紋を与えられ、これが現在にも伝わる三階菱の家紋である。なおこの時期に、貞宗と一族の小笠原(赤沢)常興は『修身論』及び『体用論』をまとめ、今日の小笠原流の基礎を築いたとされる。

室町時代には、足利義満の命により、10代小笠原長秀が今川左京大夫氏頼・伊勢武蔵守憲忠[注釈 1]と共に「三議一統」を編纂。武士の一般常識をまとめたとされる。18代小笠原貞慶は、「三議一統」後に加えられた記述をし、武家礼法を「小笠原礼書七冊」としてまとめた。

小笠原家は代々、総領家(本家)が糾法および小笠原流礼法全般をとりしきっていたが、総領家17代の小笠原長時とその子貞慶期には戦国大名として、信濃侵攻を行った甲斐武田信玄と戦いを繰り広げる中、弓馬礼法の伝統を絶やさないため、永禄5年(1562年)、一族筋にあたる赤沢経直(小笠原貞経)に糾法的伝と系図、記録を携え、弓馬術礼法の宗家の道統を託した。道統とは小笠原の弓・馬・礼の三法の総取り仕切り役の正統継承を意味する。つまりこのとき、総領家と弓馬礼法の家が分離した。

この後、赤沢経直は徳川家康に仕えて小笠原姓に復した。弓馬礼法宗家筋となったこの家系(平兵衛家)は歴代将軍に仕え、将軍家子女の婚礼や元服の儀式に与るとともに、8代将軍徳川吉宗の命により復興された流鏑馬(騎射挟物)が第20代小笠原常春に預けられ、以後代々騎射師範として門弟を指揮し、高田馬場等で行うなどしている。

明治以降も継承され現在、小笠原清忠が弓馬術礼法教場31世宗家。弓馬術礼法の継承者として、大的式・百々手式・草鹿等の歩射、流鏑馬・笠懸などの騎射の各種の式を明治神宮熱田神宮伊勢神宮靖国神社鶴岡八幡宮など各地で行っている。なお清忠の嫡男小笠原清基は特定非営利活動法人 小笠原流・小笠原教場の理事長を務めている。小笠原流礼法は登録商標(商標登録番号 第3076080号)となっていて小笠原教場以外が、「小笠原流礼法」の名称を使用して教えることは禁じられている。

なお、弓術流派としての小笠原流は、室町時代後期に戦陣の歩射を起源として興った日置流の斜面打起しに対し、騎射由来である正面打起しを行う点に特色がある。体配(行射の作法)も日置流とは異なり、今日的な用語で礼射系と分類される。射法に関しては日置流の影響を受けている。@media all and (max-width:720px){.mw-parser-output .mod-gallery{width:100%!important}}.mw-parser-output .mod-gallery{display:table}.mw-parser-output .mod-gallery-default{background:transparent;margin-top:.3em}.mw-parser-output .mod-gallery-center{margin-left:auto;margin-right:auto}.mw-parser-output .mod-gallery-left{float:left;margin-right:1em}.mw-parser-output .mod-gallery-right{float:right}.mw-parser-output .mod-gallery-none{float:none}.mw-parser-output .mod-gallery-collapsible{width:100%}.mw-parser-output .mod-gallery .title,.mw-parser-output .mod-gallery .main,.mw-parser-output .mod-gallery .footer{display:table-row}.mw-parser-output .mod-gallery .title>div{display:table-cell;text-align:center;font-weight:bold}.mw-parser-output .mod-gallery .main>div{display:table-cell}.mw-parser-output .mod-gallery .gallery{line-height:1.35em}.mw-parser-output .mod-gallery .footer>div{display:table-cell;text-align:right;font-size:80%;line-height:1em}.mw-parser-output .mod-gallery .title>div *,.mw-parser-output .mod-gallery .footer>div *{overflow:visible}.mw-parser-output .mod-gallery .gallerybox img{background:none!important}.mw-parser-output .mod-gallery .bordered-images .thumb img{outline:solid #eaecf0 1px;border:none}.mw-parser-output .mod-gallery .whitebg .thumb{background:#fff!important}


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:101 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef