おばた たけし小畑 健
別名義.mw-parser-output ruby.large{font-size:250%}.mw-parser-output ruby.large>rt,.mw-parser-output ruby.large>rtc{font-size:.3em}.mw-parser-output ruby>rt,.mw-parser-output ruby>rtc{font-feature-settings:"ruby"1}.mw-parser-output ruby.yomigana>rt{font-feature-settings:"ruby"0}土方(ひじかた)茂(しげる)
生誕 (1969-02-11) 1969年2月11日(55歳)
日本・新潟県新潟市
職業漫画家
イラストレーター
活動期間1985年 -
ジャンル少年漫画
代表作『ヒカルの碁』
『DEATH NOTE』
『バクマン。』
『プラチナエンド』
受賞第30回手塚賞準入選
(「500光年の神話」土方茂名義)
第45回小学館漫画賞
第7回手塚治虫文化賞新生賞
(以上『ヒカルの碁』)
日本のメディア芸術100選マンガ部門(『DEATH NOTE』)
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小畑 健(おばた たけし、1969年2月11日[1] - )は、日本の漫画家・イラストレーター。新潟県新潟市出身[2]。血液型はAB型[1][2]。
1985年、「500光年の神話」で手塚賞準入選。高校2年時(1986年)に投稿し佳作入賞した[2]『CYBORGじいちゃんG』で、1989年に連載デビュー(当時は土方茂名義)。その後は主に漫画原作者と組んで活動している。代表作に『ヒカルの碁』・『DEATH NOTE』など。
『ヒカルの碁』で2000年に第45回小学館漫画賞、2003年に第7回手塚治虫文化賞新生賞受賞。また、『DEATH NOTE』は2006年に日本のメディア芸術100選マンガ部門入賞。 新潟県立新潟東高等学校卒[2]。1985年、「500光年の神話」で第30回手塚賞準入選。17歳でデビューし高校生の頃から絵が上手かったとよく編集者から言われている。 手塚賞を受賞した際に審査員から絵は上手いがストーリーがいまいちと言われ、同級生に相談したところ原作者を別にしたらどうだと提案される。(後にこのエピソードをバクマンに書いている) 漫画家次原隆二[2]、にわのまことの下でアシスタント経験を積んだ後[3](当時から、にわのより「若いのに絵がムチャクチャうまい」と絶賛されている[4])、1989年に『週刊少年ジャンプ』連載のギャグ漫画「CYBORGじいちゃんG」でデビュー。 デビュー当時は土方茂(ひじかた しげる)と名乗っていた。1991年連載の『魔神冒険譚ランプ・ランプ』(泉藤進原作)より「小畑健」に改名し、以降はほとんどのマンガ作品において「漫画原作者」と組んで活動をしている。 漫画業界において非常に高い評価を得ている反面で、「当たり外れの激しい作家」でもあり、コミックス数巻ほどで打ち切りとなった作品も少なくない。しかし、「3回打ち切りになるとジャンプでは書けなくなる」と言われる週刊少年ジャンプで生き残ってきた。 『ヒカルの碁』(1998年 - 2003年、ほったゆみ原作)、『DEATH NOTE』(2003年 - 2006年、大場つぐみ原作)、『バクマン。』(2008年 - 2012年、大場つぐみ原作)は何れもTVアニメ化。また『DEATH NOTE』と『バクマン。』は実写映画も製作された。 非常に筆が速く、週刊連載と並行して様々なイラストを発表している。 2005年にはテレビゲーム『義経紀』のキャラクターデザインを担当。2006年『DEATH NOTE』実写映画化に伴い、映画挿入歌のCDジャケットイラストなども手がけている。2007年に表紙イラストを手がけた太宰治の小説『人間失格』(集英社文庫)は古典的な作品としては異例の売り上げを記録した[5]。 担当する連載漫画の特徴として、『人形草紙あやつり左近』以降から『BLUE DRAGON ラルΩグラド』に至る全ての作品が、「主人公の少年+非人間」という人物設定を採っていた。「ヒカルの碁」以降は漫画家やイラストレーターのほかに絵師と呼ばれることが多い。 好きなアニメは『妖獣都市』[6]、映画は『エクソシスト』[7]。話より絵だけ観ているところもあり、ジャンルとしてはロードムービーを好む[8]。 2000年、美術出版社『Comickers』春号にて、友人である田島昭宇、浅田弘幸と共に「水瓶3(みずがめすりー)」というユニットを結成、一時期『Comickers』を中心にイラストや短編作品などを制作していた[注釈 1]。ユニット名は、誕生日が近く3人とも水瓶座であることから。 また、2008年に浅田弘幸の作品の「テガミバチ」の3人それぞれの個性を生かして描いた三大絵師ポスターを発表し、浅田弘幸は「小畑くんのは激キャワ」と自身のブログで語っている。 森田まさのりとは「森やん」「畑やん」と呼び合うほどの親しい仲。2007年の読み切り「HELLO BABY」掲載時に対談を行なった際、野球漫画だけは森田の『ROOKIES』の完成度が高くて手が出せない、と語っている[3]。また作画力の高さでも森田に敬意を示していた[3]。
来歴
人物
交流
作品リスト
漫画
CYBORGじいちゃんG(1989年連載、週刊少年ジャンプ、連載時・旧版では土方茂名義)
CYBORGじいちゃんG(1988年掲載・読切、週刊少年ジャンプ)
CYBORGじいちゃんG(1987年掲載・読切、週刊少年ジャンプ増刊オータムスペシャル)
ロングシュート(1988年掲載・読切、週刊少年ジャンプ増刊サマースペシャル)
魔神冒険譚(アラビアン)ランプ・ランプ(1991年 - 1992年連載、原作:泉藤進)
出てきておく霊!守太郎くん(1990年掲載・読切、週刊少年ジャンプ)
力人伝説 -鬼を継ぐもの-(1992年 - 1993年連載、週刊少年ジャンプ、原作:宮崎まさる、企画協力:光商会)
夢幻導士 -DREAM MASTER-(1993年掲載・読切、週刊少年ジャンプ)
500光年の神話(1986年掲載・読切、週刊少年ジャンプ増刊スプリングスペシャル)
人形草紙あやつり左近(1995年 - 1996年連載、週刊少年ジャンプ、原作:写楽麿)
人形草紙あやつり左近(読切、週刊少年ジャンプ増刊スプリングスペシャル)
人形草紙あやつり左近(1996年掲載、週刊少年ジャンプ)
GANJIN (週刊少年ジャンプ1996年31号)
竜胆坂もののけ堂(1997年掲載、週刊少年ジャンプ)
ヒカルの碁(1998年 - 2003年連載、週刊少年ジャンプ、原作:ほったゆみ、監修:梅沢由香里)
Lust For Life(2002年、ムック「Adidas MANGA FEVER」、「田島昭宇×浅田弘幸×小畑健」名義)
はじめ(2003年掲載、週刊少年ジャンプ、前後編の読切、原作:乙一)
DEATH NOTE(2003年 - 2006年連載、週刊少年ジャンプ、原作:大場つぐみ)
DEATH NOTE(2003年掲載・読切、週刊少年ジャンプ)
DEATH NOTE 特別編(2008年掲載、週刊少年ジャンプ)
DEATH NOTE 特別読切(2020年掲載、ジャンプスクエア)
ボボボーボ・ボーボボ 153話(2004年、『週刊少年ジャンプ』内の特別企画「ジャンプ・イン・ジャンプ」で掲載、原作:澤井啓夫)
BLUE DRAGON ラルΩグラド(2006年 - 2007年連載、週刊少年ジャンプ、原作:鷹野常雄)
HELLO BABY(2007年掲載、ジャンプスクエア創刊記念特別読切、原作:森田まさのり)
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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