小田_(つくば市)
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小田
大字
小田城跡から見た宝篋山(2016年10月撮影)
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.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯36度9分16.98秒 東経140度6分47.32秒 / 北緯36.1547167度 東経140.1131444度 / 36.1547167; 140.1131444
日本
都道府県 茨城県
市町村 つくば市
地区筑波地区
標高18.4 m
人口(2017年(平成29年)8月1日現在)[1]
 ? 合計1,919人
等時帯UTC+9 (JST)
郵便番号300-4223 
市外局番029
ナンバープレートつくば
※座標・標高は小田村役場跡付近

小田(おだ)は、茨城県つくば市にある地名。郵便番号は300-4223。
地理

つくば市の北部、筑波地区に位置する。小田城跡がある。東は土浦市、西は北太田・君島、南は大杉・玉取、北は北条・小和田・山口に接している。
河川

桜川

八幡川



宝篋山(標高461m) - 山頂付近に斑状花崗岩が分布する[2]

前山(標高103.2m) - 中粒花崗岩を産出する。小田にある中粒花崗岩製の石造物には、前山の花崗岩が使われたと考えられている[2]

歴史
中世まで

小田は鎌倉期から見える地名である。常陸国筑波郡のうち中世を通じて小田氏15代の拠点となった地。南北朝以降には、小田氏の動向とともに史料に多く見えるようになる。南北朝争乱を通じて小田氏の経済的基盤は動揺し、政治的にも佐竹氏に守護職が与えられるなど弱体化が認められる。また、関東管領上杉朝宗の圧迫があり、戦国期に入ってからの小田についてはほとんどが小田氏の攻防戦に関するものである。1569年永禄12年)小田氏治が手這坂の合戦で佐竹氏に大敗し、小田城は佐竹氏の支配下にはいった[3]
近世

江戸期から1889年明治22年)にかけて小田村と呼ばれていた。筑波郡のうちはじめ佐竹氏領。1603年慶長7年)幕府領。1608年(同12年)近江高島藩領。1616年元和2年)旗本横山氏の知行1698年元禄11年)からは土浦藩領。小田城は、佐竹氏国替後に破却され、濠は水田となり、城跡の一部に陣屋が作られた。1803年享和3年)、桜川に小田河岸が作られ、土浦へ年貢や農作物を運んだ。寺社は曹洞宗竜勝寺のほか真言宗長久寺・同延寿院・浄土宗解脱寺・牛頭天王宮・天満天神宮などがある[3]

文化面においては、石門心学が普及して1794年寛政6年)に心学講舎の尽心舎が成立した[4]。小田村出身の農政学者・長島尉信(ながしまやすのぶ)は、農村改革と検地・測量に貢献した[4][5]
近代

1889年(明治22年)4月1日 、町村制の施行に伴い、小田村、北太田村、小和田村、山口村、平沢村、下大島村、大形村が合併して筑波郡の自治体名「小田村」が発足した。この際、平沢・山口・小和田・小田・北太田・大形・下大島の7つの村が旧村名の大字として継承された。1955年昭和30年)2月1日、小田村は筑波町の一部となり、町村制時の7つの大字は同町の大字として継承された。[3]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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