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生誕小田 晋
(1933-07-28) 1933年7月28日
日本・大阪府
死没 (2013-05-11) 2013年5月11日(79歳没)
日本・埼玉県さいたま市
居住 日本
国籍 日本
研究分野精神医学
精神病理学
犯罪精神医学
研究機関岡山大学
東京医科歯科大学
獨協医科大学
筑波大学
国際医療福祉大学
帝塚山学院大学
出身校岡山大学医学部医学科
東京医科歯科大学大学院(神経精神医学専攻)
医学博士
影響を
受けた人物島崎敏樹
主な受賞歴日本犯罪学会賞(1993年)
瑞宝中綬章(2013年)
プロジェクト:人物伝
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小田 晋(おだ すすむ、1933年7月28日 - 2013年5月11日)は、日本の医学者、精神科医。専門は精神病理学。筑波大学名誉教授。国際医療福祉大学名誉教授。元帝塚山学院大学教授。医学博士(東京医科歯科大学・1963年)。大阪府生まれ。位階は従四位。
日本文化会議会員。 島崎敏樹の著した『感情の世界』を読み、東京医科歯科大学島崎教室に入局することを決意した。島崎は人間をあれこれの方法で分解し細分化するのではなく、人間学的現象学の立場に立って全体をすくいあげ、その生きがいを浮かび上がらせることに長けており、彼の直接の指導を受ける機会に恵まれたことは一生の宝であると述べている[3]。小田は精神病理学を軸に、社会精神医学、犯罪精神医学に関する論文を多数発表している。またロールシャッハテスト、HTPテスト、風景構成法などの心理テストの達人としても知られていた[4]。 精神科医として日本航空350便墜落事故(1982年発生)・市川一家4人殺害事件(1992年発生)[5]・新潟少女監禁事件(2000年発覚)[6]など刑事事件で被告人として起訴された加害者の精神鑑定を担当したほか、オウム真理教事件で逮捕・起訴された元教団幹部・岡崎一明の精神鑑定も行った[7]。 また練馬一家5人殺害事件(1983年)[8]・グリコ・森永事件(1984年)、女子高生コンクリート詰め殺人事件[9]および東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件(ともに1988年 - 1989年発生)、スナックママ連続殺人事件(1991年発生)[10]、大阪・愛知・岐阜連続リンチ殺人事件(1994年発生)[11]、地下鉄サリン事件(1995年)・神戸連続児童殺傷事件(1997年)など重大事件ではその背景を分析し、犯罪心理についてマスメディアで積極的にコメントした。
来歴
1933年 - 大阪府に生まれる
1958年 - 岡山大学医学部卒業
1963年 - 東京医科歯科大学大学院(神経精神医学専攻)修了、医学博士
1969年 - 東京医科歯科大学医学部犯罪心理学教室助教授
1974年 - 獨協医科大学医学部精神科助教授
1977年 - 筑波大学社会医学系教授
1993年 - 筑波大学社会医学系長
1997年 - 国際医療福祉大学教授、筑波大学名誉教授
1999年 - 財団法人社会経済生産性本部メンタルヘルス研究所長
2001年 - 帝塚山学院大学教授[1]
2010年 - 同退職
2013年5月11日 - 心不全のためさいたま市内の病院で死去した[2]。79歳没。歿日付で従四位に叙された。
人物
精神科医として
犯罪精神医学の権威として