小田切信男
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小田切 信男(おだぎり のぶお、1909年9月29日1982年6月13日)は、キリスト教徒の医師で、信徒伝道者、信徒神学者、聖書研究者。
略歴

北海道釧路生まれ。1927年北海道帝国大学医学部入学。同年に洗礼を受け両親が所属していた札幌独立キリスト教会の会員として奉仕活動を始め、札幌市東端のスラムで伝道及び無料診療を行なう(召集を受ける1937年までの10年間)。

1934年北海道帝国大学医学部卒業、附属医院第二内科に入局し結核の研究に従事。太平洋戦争開始の1941年札幌市で医院を開業するも召集と解除の繰り返しの中で終戦を迎え、本格的な開業医としての生活は戦後になる。

1945年終戦により札幌独立キリスト教会の再建に努め礼拝の証詞を担当するなど信徒伝道者としての働きを本格化させる。1947年には教会創立者の宮部金吾博士の米寿を記念し『聖書研究』誌を創刊(宮部が逝去するまで続き第50号で終刊)。

1949年、札幌市YMCAの再建に協力していた時にYMCAの目的条文(1855年のいわゆる「パリ基準」(又は「パリ標準」)に疑問を感じ、翌年の1950年、目的条文への疑義を提出。この年に小田切の最初の著書である『基督教的焦燥』が出版された。

1951年、第2作目の『真実を求むる者・キリスト者』が出版された。この年、恩師の宮部が逝去し、月刊誌『聖書研究』は第50号をもって終刊。小田切は、御殿場にある日本YMCA同盟の施設である東山荘で、「神の痛みの神学」で有名になった神学者の北森嘉蔵と初めて議論する。北森は学生部委員会の委員(3年後に委員長就任)、小田切は宗教委員を務めていた。小田切は同年、北米とカナダのYMCA百年祭に日本代表の一人として派遣される。

1953年新宿に小田切医院を開設、2年後に四谷に移転後、日本聖書学研究所に2階を提供。1953年は、YMCAのメンバーであり神学者であるスイス人のエミール・ブルンナー教授が、設立されたばかりの国際基督教大学の客員教授として来日しており、日本YMCA同盟は12月にブルンナー教授を招いて、「キリストが神であることについてお話を伺う会」を催したが、そこで小田切が質問した内容について、翌年の1954年、日本YMCA同盟の会議の席上で再び北森嘉蔵と議論になる。

1955年日本YMCA同盟の季刊『開拓者』誌上で北森嘉蔵や東京独立キリスト教会牧師の藤原藤男との誌上公開討論が開始される。北森との誌上討論は同年12月号から翌年4月号までで終結。介入した藤原藤男牧師や読者などへの応答も含めて企画自体は同年6月号まで続いた。

小田切の福音論争は1949年から8年ほど、彼の40代に行なわれ、誌上論文だけではなく著書等も含めて精力的に展開した[1]。1957年「日本基督論研究会」が設立されその主宰者となり、自医院を会場として講演会が開催された(1969年の第15回まで)。

1960年北ドイツ・ミッションの招きでドイツに渡りハンブルク大学で講演し、そのキリスト論をめぐり神学者たちと論争する。

1964年調布市駅前に小田切ビル建築。診療所の名称を「東京ロゴス診療所」と改名。1970年「日本神観研究会」が設立されその主宰者となり、小田切ビルを会場として講演会が開催された(1977年の第16回まで)。

1979年脳溢血で倒れて以来、入退院の繰り返しとリハビリと自宅での療養生活の日々が続く。1982年6月13日腎不全を死因として逝去。
思想

小田切は、無教会の指導者で旧約聖書学者のら「聖書のみ主義」だと揶揄されたが、自分は偏狭な聖書主義者ではなく「十字架の福音の光の下における聖書主義[2]者」をもって任じていると答えている。

キリストの「十字架の福音」をキリスト教信仰の核心とする故にキリストを「神」とみなすことに疑義をもって聖書と信条との不一致を見出し[3]、伝統的キリスト教会の基本信条における神の「三位一体」やキリストの「神人二性一人格」の教理を非キリスト教的であると批判した[4]

そして聖書およびキリスト教における「非神話化」ならぬ「非異教化」および、キリスト教に異教思想が混入する前の原始の福音への回帰を提唱している[5]。しかしそれは、所謂「原始福音運動」の如きものとは全く異なる[6]

聖書の解釈においては、小田切本人がファンダメンタリストではないと述べて[7]、聖書の歴史的・批判的研究の方法を採用しており[8]、ヨハネ1:18などについては写本問題にも言及している[9]。ただし小田切の釈義は、文法規則に固執するという意味での文法主義ではなく、「全聖書の光をもってするクリティーク」[10]と述べているように、「十字架の福音」を原理として当該文書および聖書全体の思想傾向との整合性などから判断するものである[11]

一方で「非神話化」に積極的ではないことは、「人間の世界に関係する神的人格としては、一応神・神の子・天使があるわけであります。勿論、悪魔といったものも除外できません。こう申しますと人々は、ブルトマンの非神話化の時代に、天使でもあるまい、幼稚園や日曜学校の生徒でもあるまいし、というかも知れません。しかし私は聖書の中に書いてあり、またイエス御自身が語っていらっしゃるこのようなことは、一応心してよく読み、その意味することをよく考える必要があると思うのであります。」という文言に典型的に示されている[12]


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