小牛田駅
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小牛田駅
西口(2023年5月)
こごた
Kogota


所在地宮城県遠田郡美里町字藤ケ崎町117.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯38度32分27.98秒 東経141度3分51.49秒 / 北緯38.5411056度 東経141.0643028度 / 38.5411056; 141.0643028座標: 北緯38度32分27.98秒 東経141度3分51.49秒 / 北緯38.5411056度 東経141.0643028度 / 38.5411056; 141.0643028
所属事業者東日本旅客鉄道(JR東日本)
電報略号ココ
駅構造地上駅
ホーム2面4線[1]
乗車人員
-統計年度-1,755人/日(降車客含まず)
-2022年-
開業年月日1890年明治23年)4月16日[1]
乗入路線 4 路線
所属路線■東北本線
キロ程395.0 km(東京起点)
松山町 (3.5 km) (6.1 km) 田尻
所属路線■陸羽東線
キロ程0.0 km(小牛田起点)
(4.5 km) 北浦
所属路線■石巻線
(■気仙沼線直通含む)
キロ程0.0 km(小牛田起点)
(3.5 km) 上涌谷
備考

直営駅管理駅

話せる指定席券売機設置駅[2]

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東口(2023年6月)

小牛田駅(こごたえき)は、宮城県遠田郡美里町字藤ケ崎町にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)のである。
概要

東北本線陸羽東線石巻線の3路線が乗り入れ、接続駅となっている。当駅の所属線は東北本線[3]であり、陸羽東線と石巻線は当駅が起点である。また、石巻線前谷地駅を起点とする気仙沼線の列車の一部が当駅発着となっており、実用上では4路線の列車が乗り入れる。
歴史

小牛田駅は1890年(明治23年)4月16日、日本鉄道が岩切から一ノ関まで路線を延伸開通させたのと同時に開業した。日本の鉄道黎明期において、各地で鉄道を忌避したという話が散見されるが、小牛田においても鉄道の敷設に対する不安はあったらしい。しかし、当時の小牛田村長だった鎌田整一郎は、小牛田には産神として信仰を集める山神社があることから、鉄道が通れば村に人がより多く集まるようになるとして、人々の説得に回ったという話が残っている[4]。この当時の列車は旅客貨物混合列車で、上り、下り、1日にそれぞれ2本が運転された。山神社の祭日や米の積み出しが行われる秋には、臨時列車が仕立てられた。仙台駅までの所要時間は2時間半で運賃は27銭、上野駅までは3円15銭だった。駅員は10名にも満たなかったという[5]

開業当時の小牛田駅は、現在の小牛田駅より北、江合川の南岸に位置していた。しかし、江合川に近すぎることで、線路の勾配が急である、また江合川が氾濫すると線路が水没する、といった不都合が生じた。1910年(明治43年)に起きた洪水で江合川と鳴瀬川の堤防が決壊し、軌道が著しく破壊された。陸羽東線や、石巻線の前身に当たる仙北軽便鉄道が小牛田を起点に敷設される事が決まったこともあり、同じ場所に復旧することは避けられ、小牛田駅はより南の不動堂村へ移転した[6]

1912年(大正元年)、小牛田と石巻を結ぶ仙北軽便鉄道が開業した。仙北軽便鉄道は1919年(大正8年)に国有化され、後に軌道幅を広げる工事を経て石巻線となる[7]。また1913年(大正2年)に陸羽東線が岩出山駅まで部分開業した。この時、小牛田駅に機関車の基地である小牛田機関庫が置かれた。陸羽東線は1915年(大正4年)に新庄駅まで全線開通し、小牛田機関庫は1936年(昭和11年)に小牛田機関区と名を変えた[8]

小牛田駅構内での最初の営業権は、1894年(明治27年)に小牛田ホテルが獲得した。小牛田ホテルの経営者だった加藤関右衛門は小牛田付近の鉄道敷設の際、江合川、出来川、鳴瀬川鉄橋の一部資材を請け負っていて、その成果が評価された結果だと言われている。当時の販売品目は弁当、軽食、雑貨で、うなぎ丼が30銭、子持まんじゅうが10銭だった。大正時代になると斉林商店と村上屋が、昭和に入って菊水軒が構内営業に参入し、菓子、果物、うどん、そば、牛乳、寿司など、さまざまなものが小牛田駅の中で鉄道利用客に販売された[9]

太平洋戦争末期、日本の各地がアメリカ軍機の空襲を受ける中、小牛田にもまた洋上の航空母艦から発進した艦上戦闘機の来襲があった。1945年(昭和20年)8月10日の空襲で、小牛田駅の職員1名が殉職し、駅の周りでも住人が犠牲になった[10]。終戦後、日本の鉄道は復員兵や闇屋、買出しに出かける人々で溢れ混乱した。列車内はすし詰めの状態で、窓から乗り降りする乗客もいた。小牛田駅の待合室には終夜、人がたむろしていて、不穏な空気だったという。同年11月に、上野駅と青森駅を結ぶ急行列車の運転が再開された。この時は各駅があらかじめ割り振られた切符を販売する方式であり、小牛田駅には二等車の切符が5枚、三等車の切符が20枚用意された[11]

国鉄は1957年(昭和32年)から1961年(昭和36年)にかけて、車両や設備、サービスの近代化を図る「国鉄第一次五箇年計画」を実施した。その中で、1959年(昭和34年)に小牛田駅の駅舎改築が行われ、職員のための業務施設も新たに建設された[12]。1968年(昭和43年)には東北本線全線にわたる複線化と電化が完了し、ヨンサントオと呼ばれる大規模なダイヤ改正が行われた。このダイヤ改正で、上野駅と盛岡駅を結ぶ特急列車やまびこ」が小牛田駅に停車するようになった[13]東北新幹線の建設においては、小牛田駅はこの付近の新幹線停車駅として北浦駅古川駅と共に検討されたが、最終的には三つの案の中から古川駅が選ばれ、小牛田駅は新幹線のルートから外れた[14]
年表

1890年明治23年)4月16日日本鉄道(現在の東北本線)の駅として開業[1][15]

1912年大正元年)10月28日仙北軽便鉄道(現在の石巻線)が開通[16]

1913年(大正2年)4月20日:陸羽線(現在の陸羽東線)が開通[17]


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