小熊 英二人物情報
生誕 (1962-09-06) 1962年9月6日(61歳)
日本 東京都昭島市
出身校東京大学農学部卒業
両親小熊謙二(父)
学問
研究分野歴史社会学・相関社会科学
研究機関東京大学大学院総合文化研究科国際社会科学専攻
慶應義塾大学総合政策学部教授
学位博士(学術)
主要な作品『「日本人」の境界-支配地域との関係において』
『〈民主〉と〈愛国〉』
主な受賞歴サントリー学芸賞
第57回毎日出版文化賞第2部門
第3回大佛次郎論壇賞
角川財団学芸賞
第14回小林秀雄賞
公式サイト
小熊英二研究会
小熊 英二(おぐま えいじ、1962年9月6日 - )は、日本の社会学者、慶應義塾大学教授、ギタリスト。専攻は歴史社会学・相関社会科学。
東京大学農学部卒業。ナショナリズムと民主主義を中心とした歴史社会学が専門。確固たる問題提起と膨大な文献にあたる緻密な論証で高評価を得る。著書に『単一民族神話の起源』(1995年)、『生きて帰ってきた男』(2015年)などがある。 東京都昭島市出身。東京都立立川高等学校を経て、名古屋大学理学部物理学科を中退し、1987年東京大学農学部卒業、岩波書店入社(1996年まで在籍)。当初は雑誌『世界』編集部に在籍したが、営業部へ異動になった後に休職して、東京大学大学院総合文化研究科国際社会科学専攻に入学、1998年『「日本人」の境界-支配地域との関係において』で博士(学術)取得。1997年慶應義塾大学総合政策学部専任講師、2000年助教授、2007年教授。慶應義塾大学アート・センター所員。 父である小熊謙二はシベリア抑留を受け、1948年8月に日本へ帰国。その後、元日本兵の朝鮮系中国人が日本国政府を相手取ってシベリア抑留の戦後補償を求める訴訟の共同原告となっている[1]。 1995年の『単一民族神話の起源』と1998年の『<日本人>の境界』において、「日本=単一民族」説が戦後になって唱えられたものであり、植民地を保有していた戦前日本においては、「複数民族が共有する日本」が思想的に提唱されていたと主張した。 2002年の『〈民主〉と〈愛国〉』の出版動機として、小林よしのり『戦争論』や新しい歴史教科書をつくる会をめぐる論争の中で、小林や「つくる会」もその批判者も戦後史に対する無知が目立っていたことを見て、戦後に対する認識をきちんとしておかなければいけないと思ったことを挙げている[2]。『〈民主〉と〈愛国〉』において戦後思想史の中では、一見、相反すると思われている「民主」と「愛国」という概念が、丸山眞男などの議論ではむしろ相性の良い概念として使われていることなどを紹介し、戦後日本におけるナショナリズムの多様性を主張した。 2012年8月22日には、野田佳彦首相と反原発市民団体「首都圏反原発連合」の代表者11人(小熊を含む。ただし小熊は「首都圏反原発連合」のメンバーではない)との首相官邸における面会を、菅直人前首相とのパイプを使って実現させた[3]。福島第一原発の事故については、名古屋大学理学部物理学科に一時在学していたこともあり、「物理学を学んだこともあるので、原発事故の時は、何がおきているのか自分なりに把握できました。信頼のおける専門家の意見を聞いても、これは相当まずい」とみていたという[4]。 2014年8月に朝日新聞が、同紙による、いわゆる「従軍慰安婦」問題キャンペーンについて、「吉田氏が済州島で慰安婦を強制連行したとする証言は虚偽だと判断し、記事を取り消します」とした際には[5]、「日本の保守派には、軍人や役人が直接に女性を連行したか否かだけを論点にし、それがなければ日本には責任がないと主張する人がいる。だが、そんな論点は、日本以外では問題にされていない。そうした主張が見苦しい言い訳にしか映らない」と[6]、保守政治家などの「ガラパゴス的」議論を批判するコメントを寄せた。 プライベートではアコースティック楽器により世界各国のトラッドをベースとした楽曲を演奏するバンド・Quikion (キキオン) を十時由紀子・佐々木絵実と結成し、東京都内を中心にライブ活動を続けているほか、2015年までに6枚のインディーズ・アルバムをリリースしている[7]。小熊はギター、ブズーキなどを担当[8]。このほか十時を除くキキオンのメンバーと、くどうげんた(パーカッション)とともに結成したKION(キオン)でも活動している[7]。 膨大な文献を渉猟し、ナショナリズム、民主主義を中心に政治思想とその歴史を論じている。方法論的には、社会学における構築主義の立場からの研究を行っている。日本の社会学者としては珍しく、膨大な量の文献にあたる研究を行う。小熊の四大研究書のうち、初期2作『単一民族神話の起源』『<日本人>の境界』は概ね高い評価を得ている。一方で後期2作、『<民主>と<愛国>』『1968』はリベラル系の朝日新聞から読売新聞や文藝春秋といった保守系メディアまで評価する記事が載ったことがあるが、『正論』のほか中日新聞や週刊金曜日などリベラル系でも批判記事が載るなど評価が大いに分かれた。
来歴・人物
受賞歴
1996年 - 『単一民族神話の起源――<日本人>の自画像の系譜』でサントリー学芸賞社会・風俗部門。
2003年 - 『<民主>と<愛国>――戦後日本ナショナリズムと公共性』で第2回日本社会学会奨励賞著書の部、第57回毎日出版文化賞第2部門。
2004年 - 『〈民主〉と〈愛国〉』で第3回大佛次郎論壇賞。
2010年 - 『1968』で角川財団学芸賞受賞。
2013年 - 『社会を変えるには』で新書大賞。
2015年 - 『生きて帰ってきた男 ある日本兵の戦争と戦後』で第14回小林秀雄賞受賞。
2016年 - 『首相官邸の前で』で日本映画復興奨励賞。
評価
肯定
父の伝記『生きて帰ってきた男』を川村湊は「『平凡』な男の一生を記述したこの本は、だが非凡な書物である。評者はこれを日本の〈自然主義文学〉の完成形として読んだ。二十世紀の日本にこんな男が生きていた。その生涯が平凡で普通であったからこそ、本書は極めて稀な達成度を示した文学作品となったのである。社会学や歴史学の学術書ではない。強いていえば、柳田民俗学が目指していた、この国の「常民=普通の人」の精神史といえるだろうか」と評する[9]。
紀行『インド日記』をホンマタカシは「ステレオタイプの先入観に左右され、よくある『インドってこうだよな』という思考停止に陥らないところが新しいし、自分が実際に体験したことを冷静に思考している。近代における日本とインドのアイデンティティの確立の問題と比較を日記という体裁で分かりやすく書いている。よくある小説家とかの勝手な思いこみの旅行記とは南極と北極ぐらいの差がある」と推薦する[10]。
『単一民族神話の起源』についてイアン・アーシーは、「日本人が、そとの者を自然体で受け入れる寛容な民主的社会を築いていければと、本書を読んでつくづく思った」と受け止める[11]。