小熊慎司
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日本政治家小熊 慎司おぐま しんじ
2018年7月、ジュネーブにて
生年月日 (1968-06-16) 1968年6月16日(55歳)
出生地 日本 福島県喜多方市
出身校専修大学法学部
前職新井将敬衆議院議員秘書
斎藤文昭衆議院議員秘書
所属政党(自由民主党→)
みんなの党→)
日本維新の会→)
維新の党→)
無所属→)
改革結集の会→)
民進党野田G)→)
希望の党→)
旧国民民主党→)
立憲民主党重徳派泉G
称号学士(法学) (専修大学)
公式サイト ⇒衆議院議員 小熊慎司
衆議院議員
選挙区(比例東北ブロック→)
福島4区→)
比例東北ブロック→)
福島4区
当選回数4回
在任期間2012年12月21日[1] - 現職
参議院議員
選挙区比例区
当選回数1回
在任期間2010年7月26日 - 2012年12月4日
福島県議会議員
選挙区会津若松市選挙区
当選回数2回
在任期間2003年 - 2009年
会津若松市議会議員
当選回数1回
在任期間1999年 - 2003年
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小熊 慎司(おぐま しんじ、1968年6月16日 - )は、日本政治家立憲民主党所属の衆議院議員(4期)、衆議院北朝鮮による拉致問題等に関する特別委員長

改革結集の会幹事長民進党副幹事長、参議院議員(1期)、福島県議会議員(2期)、会津若松市議会議員(1期)などを務めた。
来歴

福島県喜多方市出身。福島県立会津高等学校卒業後、専修大学法学部に入学。大学在学中より新井将敬衆議院議員の事務所の学生スタッフを務める。1992年3月、専修大学法学部卒業。同年4月より新井将敬衆議院議員秘書、1993年斎藤文昭衆議院議員の秘書に転じる[2]
会津若松市議、福島県議

1999年会津若松市議会議員選挙に出馬し、初当選した。2003年福島県議会議員選挙に自由民主党公認で会津若松市選挙区から出馬し、当選。2007年、福島県議会議員に再選[2]2009年、福島県議会議員を辞職し、みんなの党に入党するため自由民主党を離党した[3]
衆院選出馬、参院当選

2009年第45回衆議院議員総選挙にみんなの党公認で福島4区から出馬したが、民主党前職の渡部恒三、自民党前職の渡部篤の後塵を拝し、得票数3位で比例復活もならず、落選。2010年第22回参議院議員通常選挙にみんなの党公認で比例区から出馬し、当選した。
衆議院議員2021年12月、会津若松市にて

2012年9月、日本維新の会に参加するため、みんなの党に離党届を提出[4][5]9月28日の日本維新の会結党に参加したが、みんなの党に提出した離党届は受理されず、11月に除籍処分が下った[6]。同年12月の第46回衆議院議員総選挙に日本維新の会公認で福島4区から出馬し、自民党新人の菅家一郎に2万票超の差で敗れたが[7]重複立候補していた比例東北ブロックで復活し、当選した。

2014年7月、日本維新の会の分党に際しては橋下徹大阪市長による新党結成を目指すグループに参加[8]。分党後の日本維新の会では、国会議員団国会対策委員長代理に起用される。同年9月、結いの党・日本維新の会の合流により維新の党の結党に参加。同年12月の第47回衆議院議員総選挙では、維新の党公認で福島4区から出馬。選挙協力により民主党の玄葉光一郎衆議院議員や、かつて福島4区選出の代議士であった渡部恒三の支援も受け[9]、前回敗れた自民党前職の菅家一郎を416票差で破り[10]再選。

2015年10月22日、維新の党に離党届を提出し、27日に離党が了承された[11][12]11月18日、離党した村岡敏英重徳和彦小沢鋭仁ら3名と日本を元気にする会山田太郎と共に、政治団体「草莽の会」の結成を総務省に届け出た[13]12月9日、村岡、小熊、重徳、小沢の4名で衆議院内に会派「改革結集の会」を結成した[14]12月21日、同じく離党組の鈴木義弘とともに政党「改革結集の会」の結党に参加し[15]、党幹事長に就任した[16]

2016年3月22日、民主党の枝野幸男幹事長と改革結集の会の村岡敏英代表が会談。同党の所属議員5名のうち村岡、小熊、重徳、鈴木の4名は民進党に合流する方針が決まった[17]3月27日、民進党の結成大会が都内で開かれ、民進党に入党[18]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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