小渕優子
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日本政治家小渕 優子おぶち ゆうこ
内閣広報室より公表された肖像
生年月日 (1973-12-11) 1973年12月11日(50歳)
出生地 日本 東京都文京区
出身校成城大学経済学部経営学科卒業
早稲田大学大学院公共経営研究科専門職学位課程修了
前職TBS従業員[1]
政治家秘書
所属政党自由民主党茂木派→無派閥)
称号公共経営修士(専門職)
(早稲田大学・2006年
配偶者夫・小渕克陽
親族祖父・初代小渕光平
父・小渕恵三
伯父・二代目小渕光平
公式サイト衆議院議員 小渕優子 (おぶちゆうこ) 公式サイト
第18代 経済産業大臣
内閣府特命担当大臣
(原子力損害賠償・廃炉等支援機構)

内閣第2次安倍改造内閣
在任期間2014年9月3日 - 2014年10月20日
内閣府特命担当大臣
少子化対策男女共同参画
内閣麻生内閣
在任期間2008年9月24日 - 2009年9月16日
衆議院議員
選挙区群馬5区
当選回数8回
在任期間2000年6月26日 - 現職
その他の職歴
第11代 自由民主党選挙対策委員長
(総裁: 岸田文雄
2023年9月13日 - 現職)
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小渕 優子(おぶち ゆうこ、1973年昭和48年〉12月11日[2] ‐ )は、日本政治家自由民主党所属の衆議院議員(8期)、自由民主党選挙対策委員長(第11代)、自由民主党水素社会推進議員連盟会長、自由民主党群馬県支部連合会長[3]

内閣府特命担当大臣男女共同参画少子化対策)、財務副大臣経済産業大臣、内閣府特命担当大臣(原子力損害賠償・廃炉等支援機構)、自由民主党組織運動本部長を歴任した。

父は第84代内閣総理大臣小渕恵三。祖父は元衆議院議員の小渕光平。元群馬県中之条町長の小渕光平(二代目)は伯父。
来歴
生い立ち

東京都文京区生まれ(現住所は群馬県吾妻郡中之条町伊勢町[4][2]星美学園幼稚園星美学園小学校を経て、成城学園中学校高等学校に進学し、成城大学経済学部経営学科を卒業。大学時代のゼミ原価計算会計学で、卒業論文は「コマーシャルによる経営戦略[5]。大学卒業後、TBSに入社[2]。『はなまるマーケット』などに携わっていた[6]

1998年(平成10年)、父・小渕恵三の首相就任後、TBSを退社し恵三の私設秘書を務める[7]
2000年衆議院議員選挙

2000年(平成12年)4月3日に、父・小渕恵三は脳梗塞により緊急入院、翌5月に逝去。同年6月の第42回衆議院議員総選挙群馬5区から自由民主党公認で出馬、この出馬に関しては世襲である事から「お姫様選挙」と一部のマスコミが揶揄する声もあったが、16万票超を獲得。26歳で初当選した(当選同期に竹下亘梶山弘志後藤田正純らがいる)。当選後、かつて小渕恵三が会長を務めた小渕派の流れを汲む平成研究会に入会。

2002年(平成14年)には、例外的に夫婦の別姓を実現させる会の活動に参加。2003年(平成15年)、衆議院議事進行係に任命された。2004年(平成16年)12月7日に、TBSの同期入社でもあった瀬戸口克陽と結婚した[8]2005年(平成17年)の、郵政国会では投票を棄権し、直後の第44回衆議院議員総選挙においても自民党からの公認を得るために必要な郵政民営化賛成の誓約書になかなか署名をしなかったため、一時は無所属での出馬の可能性も取り沙汰された。しかし、最終的には誓約書に署名し、自民党の公認を受けて群馬5区で3選。

衆議院議員を務める傍ら、2005年(平成17年)9月、早稲田大学大学院公共経営研究科専門職学位課程に入学した。少子化について学び、2006年(平成18年)9月に修了した。同年に発足した安倍内閣において文部科学大臣政務官に任命された。2007年(平成19年)4月、群馬県高崎市内で記者会見を開き、妊娠を報告。同年9月23日の2007年自由民主党総裁選挙では不在者投票を行った後、25日に河野洋平衆議院議長に産休届を提出。男児を都内の病院で出産した。
内閣府特命担当大臣(男女共同参画・少子化対策)

2008年(平成20年)9月24日、麻生内閣が発足し、内閣府特命担当大臣男女共同参画少子化対策)として初入閣した(戦後最年少の34歳9ヶ月)[注釈 1]。翌2009年(平成21年)2月、第2子の妊娠を発表し(閣僚の妊娠は史上初)、閣僚退任後の9月30日に第2子(次男)を出産。同年8月30日の第45回衆議院議員総選挙では自民党に逆風が吹き荒れる中で、9月の第2子出産のために本人不在の選挙戦を強いられたが、対立候補を大差で破り4選[9]

2010年(平成22年)7月の第22回参議院議員通常選挙は、当選した中曽根弘文(元外務大臣)の選挙対策本部長を務めた。元首相の福田康夫も選対トップの選挙対策事務長を務め、長年上州戦争で争ってきた福田赳夫中曽根康弘、小渕恵三の実子3人が手を組んだ。同年11月、自由民主党こどもHAPPYプロジェクト特別委員会委員長に就任。2011年(平成23年)10月の党役員人事により、幹事長代理に就任。

2012年(平成24年)12月26日に発足した第2次安倍内閣で、財務副大臣主税局関税局国際局を担当。また、参議院の答弁等の国会対応も行う[10])に任命される。この時、入閣を打診されたが固辞した。これに副総理に内定していた麻生太郎が「大臣をやって副大臣というのはいかがなものか」と述べたことに対し、小渕は「総理をやってから副総理をやっている人もいる」と切り返した[11]

2013年(平成25年)10月、財務副大臣を退任し、衆議院文部科学委員長に就任。
経済産業大臣2014年9月3日、入閣時に内閣総理大臣官邸で記者会見(40歳)2014年10月14日日本駐箚アメリカ合衆国特命全権大使キャロライン・ケネディ(左)と

2014年(平成26年)9月3日に発足した第2次安倍改造内閣で、経済産業大臣、及び内閣府特命担当大臣(原子力損害賠償・廃炉等支援機構)に任命。前身の通商産業大臣時代も含め、経産相ポストに女性で初めて就任した。日本の原子力発電所の再稼働や小渕の年齢・政界における人気を考慮した安倍の意向が強く働いたとされる。

同年10月16日、週刊新潮が小渕について政治資金規正法違反の疑いがあると報道[12]。10月20日午前、記者会見で大臣辞任を表明し[13]、同日付で辞任した。小渕の関連政治団体の会計を担っていた中之条町長の折田謙一郎も10月24日に町長を辞職した[14]。10月30日には東京地検特捜部が折田の自宅や高崎市の小渕の後援会事務所などを家宅捜索した[15]

同年10月24日、小渕優子前経済産業相らが相続し、その後売却した東京都内の土地・建物に、小渕氏の母親が住み続け、土地・建物を所有する都内の公益財団法人にこれまで家賃を支払っていなかったことが報道された。恵三元首相の遺品整理のために、今年末まで母親の居住を財団に認めてもらっていたと説明したが、本人が財団の理事を務めていたこともあり、小渕氏への利益供与だとの指摘に事務所は否定した[16]。実家はその後、母が退去し学生寮として改装された[17]

同年12月14日執行の第47回衆議院議員総選挙では自由民主党公認候補として立候補し、逆境の中で得票の7割維持という圧倒的な地元の支持で6度目の当選を果たした[18]。当選から間もない12月19日、複数のハードディスクが家宅捜索前に電気ドリルで破壊されていたことが朝日新聞などの報道により明らかとなった[19]。「#政治資金規正法違反事件」も参照

2017年(平成29年)8月8日より党組織運動本部長代理。経産相辞任後、約3年ぶりに党要職に復帰[20]。10月22日の第48回衆議院議員総選挙では野党の3候補を相手に圧勝で7選となっている。

2019年(平成31年)4月9日、自由民主党群馬県連の会長に選出される。


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