日本の政治家小泉 進次郎こいずみ しんじろう
内閣広報室より公表された肖像
(2020年 撮影)
生年月日 (1981-04-14) 1981年4月14日(43歳)
出生地 日本 神奈川県横須賀市
出身校関東学院大学経済学部経営学科卒業
コロンビア大学大学院修了
前職戦略国際問題研究所非常勤研究員
衆議院議員秘書
所属政党自由民主党(無派閥)
称号修士(政治学) (M.A.
小泉 進次郎(こいずみ しんじろう、1981年〈昭和56年〉4月14日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の衆議院議員(5期)、衆議院安全保障委員長[1]、自由民主党国会対策副委員長[2]、自由民主党神奈川県支部連合会長[3]。学位はM.A.(コロンビア大学・2006年)。血液型はAB型。2011年度世界経済フォーラムヤング・グローバル・リーダーの一人[4]。
環境大臣(第27・28代)、内閣府特命担当大臣(原子力防災担当)、気候変動担当大臣、内閣府大臣政務官兼復興大臣政務官、自民党青年局長、自民党農林部会長、自民党筆頭副幹事長、自民党厚生労働部会長を歴任した。2022年3月26日、自民党神奈川県支部連合会の役員総会において県連会長に選出された[5]。
小泉組の組長だった曾祖父・小泉又次郎が政界進出して以来4世代にわたって続く政治家一家で、父は第87代・第88代・第89代内閣総理大臣の小泉純一郎。母は宮本佳代子(エスエス製薬元会長、泰道照山の孫)。兄は俳優・タレントの小泉孝太郎。妻はフリーアナウンサーの滝川クリステル。 小泉純一郎の次男として神奈川県横須賀市に生まれた(現住所は同市三春町1丁目[6])。産まれて間もなく両親が離婚し小泉家が引き取ったため、多忙な父に代わり、純一郎の実姉で同居する道子に育てられた。進次郎は伯母・道子を実の母と信じており「ママ」と呼んでいた。純一郎は道子と息子たちの関係(伯母と甥)を進次郎には伝えておらず、進次郎は中学2年生まで伯母とは知らされていなかった。兄の孝太郎は伯母の存在を認識していたが、進次郎には伝えていなかった。中学生の進次郎は少なからずこの事実に驚いたが、2016年8月に道子が他界するまで実の母として大切にした。1988年(昭和63年)に関東学院六浦小学校に入学して、大学卒業まで関東学院で過ごす。関東学院六浦中学校、関東学院六浦高校ではスポーツ、特に野球に熱中した。恩師は小貫直俊。2004年(平成16年)3月、22歳の時に関東学院大学経済学部経営学科を卒業。その後、コロンビア大学大学院に入学のプロセスとしては例外中の例外と言われる「条件付き合格」し[7]、条件である「TOEFLのスコアが600点に達するまで大学内の語学講座で英語の授業を受ける」に従い1年ほど英語を学び、2005年9月よりジェラルド・カーティスに師事して修士課程をスタートし[8]、1年後の2006年(平成18年)に政治学で修士の学位を取得した[9]。その後、アメリカ合衆国にある、ロンドンタビストック人間関係研究所配下の戦略国際問題研究所非常勤研究員を経て2007年(平成19年)に帰国し、それ以後は父である純一郎の私設秘書を務める。 2008年(平成20年)に父、純一郎が政界引退を表明して、進次郎を後継候補に指名する。自由民主党の公認を受け、2009年(平成21年)の第45回衆議院議員総選挙に神奈川11区から出馬し、初当選。選挙戦では重複立候補を辞退し、当時の連立与党である公明党からの選挙協力も受けなかった。地元の一部有権者からは世襲を批判されたものの父から受け継いだ強固な地盤と後援会をバックに終始優勢を維持し[10]、投票総数の過半数である150,893票(得票率57.1%)を獲得して初当選した[11]。この総選挙で初当選した5人の自民党の1期生のうちで、政治や行政の経験がない唯一の新人議員である[12]。また、小選挙区で当選した新人議員は小泉、橘慶一郎、伊東良孝の3人のみである。
来歴
生い立ち
初当選地元横須賀市にて
当選後2019年9月23日、米国の環境保護庁長官アンドリュー・R・ウィーラー