小泉又次郎
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日本政治家小泉 又次郎こいずみ またじろう
小泉又次郎の肖像写真
生年月日1865年6月10日
出生地武蔵国久良岐郡六浦荘寺分村大道
(現在の神奈川県横浜市金沢区大道2丁目)
没年月日 (1951-09-24) 1951年9月24日(86歳没)
出身校攻玉社中学校中退
前職とび職人
小学校助教員
新聞記者
所属政党(立憲改進党→)
(猶興会→)
又新会→)
立憲国民党→)
立憲同志会→)
憲政会→)
立憲民政党→)
無所属→)
翼賛議員同盟→)
翼賛政治会→)
大日本政治会→)
日本進歩党
称号正二位
勲一等瑞宝章
配偶者妻・小泉ナオ
親族父・小泉由兵衛
女婿・小泉純也
孫・小泉純一郎
曾孫・小泉孝太郎小泉進次郎
第33代 逓信大臣
内閣濱口内閣
第2次若槻内閣
在任期間1929年7月2日 - 1931年12月13日
貴族院議員
選挙区勅選議員
在任期間1945年12月19日 - 1946年3月13日[1]
衆議院議員
選挙区神奈川県第2区
当選回数12回
在任期間1908年5月16日 - 1945年
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小泉 又次郎(こいずみ またじろう、1865年6月10日慶応元年5月17日〉 - 1951年昭和26年〉9月24日)は、日本政治家。第87-89代内閣総理大臣小泉純一郎の祖父。横須賀市長逓信大臣衆議院副議長などを歴任した。大衆政治家で、入れ墨があったことから「いれずみ大臣」「いれずみの又さん」などの異名をとった。神奈川県平民[2]
経歴
生い立ち

1865年6月10日(慶応元年5月17日)、武蔵国久良岐郡六浦荘寺分村大道(現在の神奈川県横浜市金沢区大道2丁目)にとび職人の父・由兵衛、母・徳の次男として生まれた。

由兵衛はのちに横須賀に移って、海軍に労働者を送り込む軍港随一の請負師[3]になった[4]。『小泉又次郎伝』によると、“気っ風(ぷ)と腕っ節[4]、根性がものをいう商売[4]”、“意地と我慢の商売”といわれる家業で[4]、又次郎はその血を引き、そのような家風で育った[5]。河瀬蘇北によれば「幼にして神童の誉れはなくて餓鬼大将の称あり[6]学問もした事がなく、柔道撃剣の心得また覚束ないが、どう云うものか喧嘩が早くて腕ッ節が強い[6]。」という。

ただし、又次郎の少年時代は詳細な記録もなく不明な点も多い[4]
書生時代

14歳で横須賀学校(横須賀小学校の前身)を卒業した[5]

又次郎は鳶の仕事を継ぐのを嫌がり、無断で海軍士官予備学校の旧制攻玉社中学校に入るが、父に連れ戻される[7]。故郷に戻り母校の代用教員となるが[7]、またしても家族に内緒で家を飛び出した[7]

今度は陸軍士官予備学校に無断で入る[7]。上京中に板垣退助の演説を聴いて普選論者になった[8]
とび職人・請負師として

兄が急死したため、父に連れ戻され「今日限り魂を入れ替えて家業を継げ」と厳命される[9]。その際、こんどこそ軍人を諦めとび職人になることを決意した証に、全身に入れ墨を彫った[10]。彫り師凡天太郎によると「とくに港町ともなれば素性もわからないような流れ者がゴロゴロ集まった。そんな彼らの上に立つには、刺青を彫るような人物ではないと現場を仕切れなかったろう」という[11]入れ墨を施した江戸時代の人、1870年

又次郎はあちこちの仕事場をまわり、職人に指図をした[12]。そのうち周囲からは“親分(おやぶん)”と呼ばれた[12]
記者として

憲法発布の年、1889年(明治22年)、東京横浜毎日新聞の記者になる。30歳のころに芸者だった綾部ナオと結婚した[13]
政治家として

壮士の群に入りピストルを懐にしては暴れ回り、三浦政界を馳駆する[14]

1887年(明治20年)、立憲改進党に入党する。当時、神奈川県内では自由党に比べて改進党の党員は少なかった[15]。又次郎はここで島田三郎[16]と出会い、その影響を受け師事していった。

ただ当時又次郎は、特に改進党へのこだわりはなくシンパというわけでもなく[17]、たまたま父由兵衛と親しかった戸井嘉作の誘いを受けての入党だった[18]

1907年(明治40年)横須賀市会議員に当選、後に議長をつとめた。神奈川県会議員を経て、1908年(明治41年)衆議院議員選挙に立候補して初当選、以来戦後の公職追放となるまで連続当選12回、通算38年間の代議士生活を過ごす。政治家として本領を発揮した又次郎は「野人の又さん」としてその名を轟(とどろ)かせるようになっていく[19]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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