小沢グループ
[Wikipedia|▼Menu]
.mw-parser-output .hatnote{margin:0.5em 0;padding:3px 2em;background-color:transparent;border-bottom:1px solid #a2a9b1;font-size:90%}

この項目では、小沢一郎のグループについて説明しています。小沢鋭仁のグループについては「21世紀国家ビジョン研究会」をご覧ください。

「一新会」は民主党内のグループについて説明しているこの項目へ転送されています。その他の用法については「一新会 (曖昧さ回避)」をご覧ください。

小沢グループ設立旧自由党グループ
2003年〈平成15年〉)
一新会
2004年〈平成16年〉)
北辰会
2005年〈平成17年〉)
木曜会
2010年〈平成22年〉)
新しい政策研究会
201年〈平成23年〉)
一清会
2023年〈令和5年〉)
設立者小沢一郎
種類民主党グループ
会員数民主党所属国会議員
事務総長新しい政策研究会東祥三
会長一新会:鈴木克昌
木曜会:田中直紀
新しい政策研究会:小沢一郎
一清会:小沢一郎
重要人物小沢一郎
主要機関旧自由党グループ
一新会
北辰会
木曜会
新しい政策研究会
一清会
関連組織小沢一郎政治塾
自由党
予算一新会:8,633,922円[1]
北辰会:650,000円[2]
ウェブサイト ⇒新しい政策研究会
特記事項^ 一新会平成22年分政治資金収支報告書参照
^ 北辰会平成22年分政治資金収支報告書参照

かつての呼び名北辰会:一新会倶楽部
テンプレートを表示

小沢グループ(おざわグループ)は、民主党グループ小沢一郎を支持した複数のグループの呼称である。小沢一郎の民主党離党により民主党内のグループとしては消滅したが、2020年に結党した立憲民主党の党内グループとして今も活動している。
概説

2003年(平成15年)の民由合併によって解散した旧自由党出身の議員を指していた。当初は政党内政党は避けようという観点からほとんど会合なども行われなかった。その後、2004年(平成16年)6月に当時当選1回?2回の議員を対象とした小沢主宰の勉強会一新会(いっしんかい)が発足し、これ以降徐々に会合等を開くようになる。この一新会に加え、2005年(平成17年)秋、第44回衆議院議員総選挙の惨敗により、新たに発足した落選者や候補者を対象とした一新会倶楽部(いっしんかいくらぶ)が発足した。2006年(平成18年)に小沢が党代表に就任し、候補者擁立に采配を振るったこともあり、2007年(平成19年)の第21回参議院議員通常選挙2009年(平成21年)の第45回衆議院議員総選挙でそれぞれ民主党が大勝すると、当選した新人議員の多くが加入し、党内最大派閥となった。

第45回衆院総選挙後、一新会と一新会倶楽部の統合が検討されたが党内外に警戒感を招くとの考えから一新会倶楽部を議員組織に格上げして存続させることとなり、小沢グループが計3つ存在することとなった。また、旧自由党グループに国民新党出身の議員も参加することとなった。2010年(平成22年)秋に一新会倶楽部はより結束力が高い政治団体北辰会に衣替えした[1]

政策的には旧自由党時代は右派的、新自由主義的なものが多かったが、小沢の政策の変化に加え新人議員の取り込みの過程で様々な立ち位置の議員が所属したことからそういった傾向は薄れていった。旧自由党出身で当初小沢グループと見られていた議員の中でも、渡辺秀央大江康弘のように小沢と対立し離党した議員や藤井裕久平野達男のように党内の反小沢の立場に転じた議員もいる。小沢同様、選挙に向けて自民党との対立軸を鮮明にする傾向があり、対案路線を掲げる前原グループ野田グループとは対立することが多かった。

ここに挙げたグループのメンバー以外にも小沢の影響下にある議員は多数存在し、特に第21回参議院議員通常選挙と第45回衆議院議員総選挙で初当選した議員の多くは俗に小沢チルドレンとマスメディアで呼ばれた。

鳩山政権下では、前原グループや野田グループ出身の松本剛明細野豪志原口一博横路グループ高嶋良充などの登用も目立った。特に細野や高嶋は幹事長室への陳情の集約を任されるなど信任が厚かった。

2011年(平成23年)12月21日、小沢を支持する三つのグループが勉強会「新しい政策研究会」を発足させた[2]。2011年12月、小沢を支持する内山晃ら9人の民主党所属の議員が「新党きづな」を結成して集団離党する。さらに2012年(平成24年)7月、当の小沢が計48人の議員を率いて民主党を集団離党して新党「国民の生活が第一」を結成した。新党結成後も一部の議員は民主党内に残ったが、この時点で民主党内の小沢系グループは消滅したとされる。

国民の生活が第一はその後、日本未来の党、生活の党へと移行したが、相次ぐ国政選挙でこれらの党に所属する議員が多数落選するなど小沢の求心力の衰えが指摘されるようになった。2014年12月の第47回衆議院議員総選挙に対しては小沢は「今回は生き残ることを優先したらいい。生き残っていれば、いずれまた一緒にできる」と述べ、他党(民主党や維新の党)からの立候補を公然と認めるようになった[3]2017年10月の第48回衆議院議員総選挙においても小沢は自由党(生活の党から改称、2003年に解散した旧自由党とは同名の別政党)所属議員の希望の党立憲民主党からの立候補を容認する姿勢を示した[4]ことから、小沢グループ出身議員は複数の政党に所属する状況となっている[5]

自由党は2019年4月に国民民主党に合流し、2020年9月には国民民主党の一部と立憲民主党が合流した。この際に行われた新党代表・党名選挙では合流新党(新「立憲民主党」)に参加する国民民主党議員のうち約10人が小沢一郎のグループに所属していると報じられ、同グループは代表選では枝野幸男を支持した[6]

2011年(平成23年)に発足した21世紀国家ビジョン研究会(小沢鋭仁グループ)と区別する為、小沢一郎グループとも呼ばれる。
旧自由党グループ

自由党に所属、または自由党公認で立候補した経験がある国会議員より成るグループ。自由民主党羽田派新生党新進党との連続性から、いわゆる保守本流田中派)の流れを汲む。
過去の在籍者
衆議院議員

立憲民主党

小沢一郎[注 1](18回、比例東北岩手3区

菊田真紀子[注 2](7回、新潟4区

小宮山泰子[注 3](7回、比例北関東埼玉7区

松木謙公[注 4](6回、北海道2区


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:154 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef