小柴貯油施設(こしばちょゆしせつ)は、かつて神奈川県横浜市金沢区にあった在日米軍の航空燃料貯蔵施設である。2005年に日本国に返還され、今後横浜市により公園とする計画が進められている。 戦前に日本海軍により燃料貯蔵基地として建設され[1]、1948年10月3日より在日米軍により接収された。1973年3月22日には金沢地先埋立事業にともないシーバースを移設・集約することが日米合同委員会で合意。1975年12月4日に移設工事が完了し、引き渡された。1977年2月24日には、日米合同委員会において地下貯油タンク1基を施設内に移設することが合意され、1979年4月に移設工事が完了した。1981年10月13日には6号タンクが爆発し火災が発生したが、横浜市消防局と米軍消防隊により消し止められた[2]。日米合同委員会で2004年10月に一部返還、2005年10月に陸地部分全域と制限水域の一部について返還が合意され、これに沿い2005年12月に陸地部分全域と制限水域の一部が返還された。2009年6月と10月には、「開港150周年の森植樹祭」が開催された[3]。跡地は広域公園として整備が予定されているが[1]、南関東防衛局による2007年から3年間にわたる土壌調査の結果、敷地の3.6%に土壌汚染対策法の基準値を越えるベンゼン・鉛・ヒ素の汚染が検出され[4]、着工は遅れている[5]。 所在地は金沢区柴町、長浜、幸浦二丁目、並木三丁目にまたがる。陸上部の面積は526,205m2で、そのうち国有地511,859m2(97.3%)、市有地4,746m2(0.9%)、民有地は9,600m2(1.8%)を占める。制限水域は約470,000m2で、このうち後述のBバース跡の.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度21分37.4秒 東経139度39分32.6秒 / 北緯35.360389度 東経139.659056度 / 35.360389; 139.659056 (小柴水域)
歴史
施設並木側ゲート。直径15m・高さ9mの35号タンクが残る
貯油施設の南側には旧日本軍が1939年に完成した長さ180メートルの通称「小柴トンネル」がある。貯油施設近くの住民や、路線バスの転回場に使われてきたが、米軍接収時に権利設定がなされず長らく所有者不明の状態であった。笹子トンネル天井板落下事故を受け、財務省関東財務局が国の所有物であるとした上で、安全性を確認したのち所有権を横浜市に移管し、市では小柴貯油施設跡地公園のエントランスの一つとして活用する方針である[9][10][11]。
2020年8月25日、作業員1名が重機作業中に貯油タンクに転落し死亡する事故があった[12]。
公園開設に向けた動き柴シーサイドファームより
陸上部は東西方向、南北方向各1Kmの丘陵地で、西から東へ向けて傾斜し、東端は埋立以前の海岸線となる。標高は最も高いところで83.1mである。