小柳ゆき
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小柳ゆき
出生名小柳由紀
生誕 (1982-01-26) 1982年1月26日(42歳)
出身地 日本埼玉県
学歴埼玉県立上尾高等学校
ジャンルJ-POP
ソウルミュージック
職業歌手
活動期間1999年 -
レーベルワーナーミュージック・ジャパン
(1999年 - 2007年
NAYUTAWAVE RECORDS
2008年 - 2014年
EMI Records
(2014年)
Prime Music
2015年 -)
事務所株式会社Pavo Nix
公式サイト小柳ゆき公式ウェブサイト

小柳 ゆき(こやなぎ ゆき、1982年1月26日 - )は、日本歌手。本名、小柳 由紀(読み同じ)。

埼玉県大宮市(現さいたま市)出身。元所属芸能事務所バーニングプロダクション。所属レコード会社はユニバーサルミュージック・Prime Music。姉は歌手・ミュージシャンの小柳裕美(美裕リュウ)。身長154cm 体重40kg。血液型B型。
略歴・人物

5歳上の姉が音楽好きだったことで影響を受け、歌うことに興味を持ち始める。10歳の頃に姉の持つCDの中から永井真理子などをこっそり取り出して、それを聞いたりそれにあわせて歌ったりしていた。そして、姉の勧めで自分の歌をラジカセに録音して練習するようになった[1]。最初は歌謡曲ばかり歌っていたが、その後、ホイットニー・ヒューストンマライア・キャリーなどの洋楽を好んで歌うようになっていった[2]

埼玉県大宮市立日進中学校(現:さいたま市立日進中学校)では剣道部に所属し、ソウルフルな発声の基礎はここで鍛えられたという。

1994年、12歳の時に「コロムビア歌謡曲新人歌手オーディション」に出場。尊敬する大黒摩季の『永遠の夢に向かって』を歌い[1]、全国決勝大会にまで勝ち進んだ。全国大会まで残った実績が評価されて音楽事務所からデビューの誘いを受けるが、当時、学校の部活動に没頭していた事もあって一度はデビューの誘いを断った。しかし1997年に再びデビューの誘いを受けると、今度はその誘いを受け入れ歌手デビューに向けて一歩踏み出した。高校に通いながら、約1年間に渡ってボーカルレッスンとデモテープ作りを積み重ねる[1][2]

オーディションを経て、1999年にシングル「あなたのキスを数えましょう ?You were mine?」でワーナーミュージック・ジャパンからデビュー。45週連続チャートインするというロングヒットを記録した。

2000年、3月に埼玉県立上尾高等学校の全日制を卒業するとすぐに東京都内に転居。同年、シングル「愛情/can't hold me back」、「be alive」が大ヒット。2ndオリジナルアルバム『EXPANSION』はミリオンセラーとなった。また、海外の曲をカバーしたアルバム『KOYANAGI the COVERS PRODUCT 1』も好セールスを記録。同年、日本有線大賞受賞。「あなたのキスを数えましょう ?You were mine?」でNHK紅白歌合戦初出場を果たした。

2001年、第52回紅白歌合戦に「remain?心の鍵」で2年連続出場。

2002年、第53回紅白歌合戦には「Lovin' you」で3年連続の出場を果たす(世界的アコーディオン奏者フランク・マロッコ (Frank Marocco) と競演)。

2005年1月に渡英し、ロンドンで4ヶ月間過ごす。4月、シングル『最後に記憶を消して』をリリースするが、オリコンチャートの最高位は100位であった。10月7日に「Dream Power ジョン・レノン スーパー・ライヴ 2005」に出演。11月に発売予定の新曲が二転三転し、無期延期となった。@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}なお、この曲が翌年発売された「Fair Wind」ではないかと言われている[誰によって?]。

2006年5月10日、シングル「Fair Wind」をリリース。9月にはZEPP TOKYOなんばHatchで3年ぶりとなる単独ライブツアーを開催。10月11日にリリースされたシングル「誓い」では、ジャケットでセミヌードを披露した。

2007年3月24日日本テレビの「ミリオンヒットライブ2007」に出演し、久々にゴールデンタイムに顔を見せた。この時、左の二の腕に十字架のタトゥーを入れていた事が確認出来ている。

2008年2月20日発売のYuki-K名義の「Rehab - 女神たちの休息 - / Listen」(エイミー・ワインハウスビヨンセを日本語カバーした企画シングル)より、NAYUTAWAVE RECORDS(ユニバーサルミュージック内)へ移籍。同年10月21日、移籍第1弾となるシングル「we can go anywhere」のプロモーションで「笑っていいとも!」(フジテレビ)に出演した[注 1]。その2週間後の11月5日、「稲垣潤一&小柳ゆき」名義でデュエットで参加した稲垣の47枚目のシングル「悲しみがとまらない」(杏里のカバー[注 2])がリリースされる。

2010年7月24日赤坂BLITZで、8月8日はなんばHatchにおいてライブが行われた(単独ライブとしては4年ぶり)。また、7月21日には浜離宮朝日ホールにおいてアコースティックライブ「プレミアム・ミーツ・プレミアム2010」が行われた[3]10月10日に放送された音楽特番「グッとくる歌謡祭」(ABC)で久々にテレビ出演をした。

2012年1月26日、自身の誕生日にカーネギー・ホールでライブを行った[4][5][6]

2018年12月、年内でデビュー以来所属してきた事務所を辞めて独立することを発表[7]。デビュー20年目の区切りとなる2018年末をもって所属事務所バーニングプロダクションを退社し独立、翌2019年1月25日に自身のSNSを通じて報告した[8][9]
作品
シングル

枚リリース日タイトル最高位収録アルバム
1st
1999年9月15日あなたのキスを数えましょう ?You were mine?7位FREEDOM
2nd1999年10月27日fairyland47位
3rd2000年1月26日あなたのキスを数えましょう Opus II12位
4th2000年4月12日愛情/can't hold me back3位EXPANSION
5th2000年7月26日be alive1位
6th2000年11月15日Koyanagi the Christmas ? ホワイト・クリスマス4位MY ALL <YUKI KOYANAGI SINGLES 1999-2003>
7th2001年4月25日beautiful world17位my all..
8th2001年4月25日DEEP DEEP13位
9th2001年6月13日my all..25位
10th2001年11月21日remain?心の鍵7位buddy
11th2002年2月14日HIT ON24位
12th2002年7月10日Endless24位
13th2002年10月17日Lovin' You20位Type
14th2003年3月5日ON THE RADIO45位
15th2003年8月6日恋のフーガ/会いたい36位KOYANAGI the
COVERS PRODUCT 2

16th2004年1月28日Love knot ?愛の絆?26位i'll be Travelin' Home
17th2004年11月24日Crystal Days160位
18th2005年4月27日最後に記憶を消して100位SUNRISE
19th2006年5月10日Fair Wind39位
20th2006年10月11日誓い32位
21st2008年10月15日we can go anywhere70位The Best Now & Then ?10th Anniversary?
22nd2012年7月25日MacArthur Park/All At Once73位Koyanagi the
Covers PRODUCT 1

23rd2012年12月12日Believe In Yourself153位The Best of Yuki Koyanagi
2015 Here For You ?Universal Selection?

24th2013年4月24日ジェットコースター107位
25th2013年7月31日ひまわり-
26th2013年10月30日One in a million/return to you152位SUNRISE
27th2015年8月19日LOVE DRIVE ?恋はサーキットのように?-

配信限定シングル

リリース日タイトル最高位収録アルバム
1st
2019年9月4日PreludeSPHERE ?球宇宙?
2nd2020年5月26日SPHERE -feat.デーモン閣下-

その他のシングル

リリース日タイトル最高位収録アルバム
2008年2月20日Rehab -女神たちの休息-/Listen(Yuki-K名義)180位The Best Now & Then ?10th Anniversary?


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