小林 計一郎(こばやし けいいちろう、1919年5月21日 - 2009年11月1日)は、日本の歴史学者、郷土史研究家。長野県史編纂委員、長野郷土史研究会会長(初代)[1]。長野工業高等専門学校、文化女子大学長野専門学校、信州短期大学の元教授[2]。長子は、長野郷土史研究会の二代目会長の小林一郎。脚本家の小林雄次と小林英造は孫[3]。 長野県長野市生まれ。旧制長野中学校(現長野高校)を卒業し、神宮皇學館に進学する[4]。小林一茶研究で知られる伊藤正雄に師事して国文学を学ぶ[1]。1941年に卒業[5]。兵役を経て、1946年から大阪府立農学校や長野県の高等学校教諭、長野工業高等専門学校教授、信州短期大学教授などを歴任[6]。1991年信州短大退職、名誉教授の称号を受ける。その後も講師を続け、1996年に教職を終える[7]。歴史学者として有名で極めて多数の著作を残しているが、本職は高校の国語教員であった[1]。2009年逝去。享年90歳。 小林一茶研究をはじめ、信濃善光寺とその門前町を中心とした長野県の郷土史や自治体史編纂など、長野県をフィールドとした歴史研究に取り組む[1]。一茶の研究では、地方資料の活用や統計的手法、筆跡研究など、それまでなかった新しい視点を持ち込んで様々な角度から一茶像に迫った[1]。その他、甲斐武田氏・上杉氏(川中島の合戦)、真田氏なども研究のテーマだった。 1961年、歴史愛好者を集めた長野郷土史研究会を設立[2]。初代会長として、全国各地を訪ねる「史跡めぐり」、講演会、古文書解読講座などを行い、多くの歴史愛好家を育てた[8]。1987年頃のピーク時には、会員が全国に約4000人いたという[9]。1964年に発行を開始した機関誌『長野』(学術刊行物指定)には様々な人物の2000以上の論文を掲載[9]。『長野』は、その没後も続き、2023年現在、320号を超えている[10]。その他の功績に、「善光寺七福神」の制定などがある[8]。 2002年には地域文化功労者文部科学大臣表彰を受けた[2]。長野郷土史研究会の会員には、「世の中に趣味はたくさんありますが、郷土史ほど世のため、人のためになる趣味はありません」と常に言っていたという[8]。愛猫家であり[11]、ジョギングや社交ダンスも好んだ[12][13]。そのことは随筆などを含んだ著作『信濃の春秋』(1996年)に詳しい。
生涯・人物
著作
『善光寺と長野の歴史』長野郷土史研究会 1958
『川中島の戦 甲信越戦国史』長野郷土史研究会、1959 のち春秋社、銀河書房