小林製薬
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小林薬品工業」とは異なります。

小林製薬株式会社
Kobayashi Pharmaceutical Co., Ltd.

種類株式会社
市場情報東証プライム 4967
本社所在地 日本
541-8507
大阪府大阪市中央区道修町4丁目4番10号
KDX小林道修町ビル
設立1919年大正8年)8月22日(創業:1886年(明治19年))
業種化学
法人番号4120001077402
事業内容医薬品、医薬部外品、芳香剤、衛生材料などの製造販売を行う製造販売事業
代表者代表取締役会長 小林一雅
代表取締役社長 小林章浩
資本金34億5000万円
(2023年12月31日現在)[1]
発行済株式総数7805万株
(2023年12月31日現在)
売上高連結:1734億5500万円
(2023年12月期)
営業利益連結:257億8000万円
(2023年12月期)
経常利益連結:273億3000万円
(2023年12月期)
純利益連結:203億3800万円
(2023年12月期)
純資産連結:2048億1600万円
(2023年12月31日現在)
総資産連結:2674億7300万円
(2023年12月31日現在)
従業員数連結:3,534人、単体:1,645人
(2023年12月31日現在)
決算期12月31日
会計監査人EY新日本有限責任監査法人
主要株主小林 章浩 12.17%
日本マスタートラスト信託銀行梶i信託口) 10.34%
(公財)小林財団 7.88%
鞄本カストディ銀行(信託口) 3.99%
渡部 育子 3.05%
許Q 2.86%
潟tォーラム 2.72%
井植 由佳子 2.45%
宮田 彰久 2.02%
小林製薬取引先持株会 1.91%
(2023年6月30日現在)
主要子会社富山小林製薬株式会社
仙台小林製薬株式会社
愛媛小林製薬株式会社
外部リンク ⇒www.kobayashi.co.jp
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小林製薬株式会社(こばやしせいやく、Kobayashi Pharmaceutical Co., Ltd.)は、大阪市中央区道修町4丁目に本社を置く、医薬品と衛生雑貨(トイレタリー)の企画・製造・販売をおこなう日本企業である。みどり会の会員企業であり三和グループに属している[2]

コーポレート・スローガンは「"あったらいいな"をカタチにする」。
概要

創業者の小林忠兵衛1886年明治19年)に愛知県名古屋市で「小林盛大堂」を開き、雑貨化粧品洋酒の販売を始める。2年後には薬品卸部門を設立し、「タムシチンキ」「大効丸」「一日丸」などの薬品の販売を開始。1919年大正8年)には、大阪に進出し、本社を設置した。

その後、1956年昭和31年)に改組。後に「アンメルツ」「ブルーレット」「サワデー」「トイレその後に」「サラサーティ」「熱さまシート」「フェミニーナ」「アイボン」「消臭元」「ケシミン」「ナイシトール」などの製品を開発し、テレビCMの放映も相まって、ヒット商品となる。

武田薬品工業塩野義製薬田辺三菱製薬等、医薬品製造企業の本社が集まることで有名な、大阪・道修町に本社を置いているが、在阪医薬品メーカーでは珍しく、事業としては医薬品よりも、衛生雑貨関係の露出が強い。株式の上場1999年大証2部)であり、現在は東証1部(現・プライム)に上場している。

製品開発において、非常に小回りの利く企業の一つとしてその名を知られると共に、ユニークなネーミングが冠された商品を多数持つ。
2000年代に入ると他社が発売していたブランドを取得し「キムコ」「イージーファイバー」「小林製薬の杜仲茶」「命の母」「間宮アロエ軟膏a」「ビスラット」「オードムーゲ」「丸薬七ふく(がんやくひちふく)」「ヘモリンド」「Bioil(バイオイル)」「桐灰カイロ」「足の冷えない不思議なくつ下」「マダムジュジュ」が順次自社製品となり、販路の拡大や知名度の向上に貢献している製品もある。

2001年平成13年)に使い捨てカイロメーカーである桐灰化学を子会社化したのを皮切りに、2006年(平成18年)には「間宮アロエ軟膏a」をはじめとするアロエを使用した製品の製造を行っているアロエ製薬を子会社化。さらに、2013年(平成25年)には六陽製薬とジュジュ化粧品(2020年に吸収合併[3])を傘下とし、2014年春にスキンケア事業部を新設[4]。2016年8月には米国の外用消炎鎮痛剤と化粧品の製造販売会社Berlin社とその子会社Perfecta社を完全子会社化した[5]。ほか、2019年12月期までに中国などに300億円のM&A投資を行うとしている[6]

2024年3月には、「紅麹」の成分を含む健康食品を摂取した消費者が腎臓の病気などを発症し5人が死亡する紅麹サプリ事件が発生。サプリメントの安全性に関する社会問題に発展した[7]
沿革

1886年明治19年) - 小林忠兵衛により愛知県名古屋市中区門前町に、雑貨や化粧品の店として合名会社小林盛大堂を創業。

1894年(明治27年)- 「タムシチンキ」「大効丸」「一日丸」など10種の自家製薬品を販売。

1912年(明治45年)- 合名会社小林大薬房を設立。

1919年大正8年) - 合名会社小林盛大堂と合名会社小林大薬房を合併し、大阪市西区京町堀に株式会社小林大薬房を創立。初代社長に小林吉太郎が就任。

1939年昭和14年)- 頭痛薬「ハッキリ」を発売。

1940年昭和15年) - 株式会社小林大薬房の製剤部門を分離し、(旧)小林製薬株式会社を設立。

1948年(昭和23年)- 小林三郎が社長に就任。

1956年(昭和31年) - 株式会社小林大薬房が(旧)小林製薬株式会社を合併し、商号を小林製薬株式会社に変更。本社を大阪市東区(現在の大阪市中央区道修町4丁目3-6に移転。

1958年(昭和33年)- 小林映子が社長に就任。

1967年(昭和42年) - 肩こり治療薬「アンメルツ」を発売。

1969年(昭和44年) - トイレタリー製品の第1号「ブルーレット」を発売。

1970年(昭和45年) - 「ポリデント」を製造していた米ブロックドラッグ社と業務提携し、日本での総発売元となった。

1975年(昭和50年) - 芳香剤のパイオニア「サワデー」を発売。

1976年(昭和51年)- 小林一雅が社長に就任。

1985年(昭和60年) - 倒産した小林脳行の営業権を譲受(それまでは社名は類似するが関係は無かった企業である)。同社の防虫剤など(「モスノー」「モスボックス」「サニボン」「煙出しネオ片脳油」など)の販売を引き継いだ。

1987年(昭和62年) - 現在のCIを導入。

1996年平成8年)

4月 - 「シュミテクト」「ポリデント」「ポリグリップS」「ニソーデント」「2000フラッシュ」(トイレ洗浄剤)の5ブランドを米ブロックドラッグ社との合弁会社である小林ブロックへ移管。「ポリデント」に代わり「タフデント」を発売。

7月 - 小林ブロックがブロックドラッグの完全子会社となりブロックドラッグ・ジャパンに商号変更。「シュミテクト」「ポリデント」「ポリグリップS」「ニソーデント」「2000フラッシュ」の発売元がアース製薬に変更。


1999年(平成11年) - 大阪証券取引所第二部上場。栄養補助食品の通信販売事業を開始

2000年(平成12年) - 東京証券取引所ならびに大阪証券取引所市場一部上場。商事部門を分社化し、「株式会社コバショウ」を設立。

2001年(平成13年) -

米国系傘下にあったパナマ国籍の企業ホワイトホール ジャパン コーポレーション(旧・アメリカン・ドラッグ・コーポレーション)を買収、チバ コバヤシ インクに商号変更した同社の製品(「キムコ」「イージーファイバー」「プリティー」「アクアフィルター」[注釈 1])の販売権を承継(会社は2004年に清算)。

使い捨てカイロ大手の桐灰化学の全株を取得し、完全子会社化。


2002年(平成14年) - 日立造船から健康食品事業(杜仲茶)を譲受。翌2003年に当社の製品として発売開始。

2003年(平成15年) - 日立造船株式会社より健康食品事業(杜仲茶)の営業権取得。株式会社エンゼルを「愛媛小林製薬株式会社」に社名変更。

2004年(平成16年)- 小林豊が社長に就任。

2005年(平成17年)

1月 - 笹岡薬品が製造する「命の母」ブランドの独占販売権を取得。同年6月に「女性保健薬 命の母A」を当社から発売する。

3月 - アメリカ・コーム社との合弁会社であった小林コーム株式を取得して完全子会社化すると共に、コーム社から日本における「ラナケイン」「フェミニーナ」の商標権を譲り受ける。同年12月に簡易合併による吸収合併を行ったため、2006年から「ラナケイン」「フェミニーナ」を自社生産に切り替える。

7月 - 井藤漢方製薬と資本・業務提携を結ぶ。


2006年(平成18年)6月 - 大衆薬製造販売のアロエ製薬静岡市)の全株を取得し、完全子会社化。同年9月より「アロエ製薬」製品の発売開始。

2007年(平成19年)3月 - ブランドスローガン「あったらいいなをカタチにする」をテレビCMに挿入開始[8]

2008年(平成20年)

1月 - 卸売子会社のコバショウが、株式交換によってメディセオ・パルタックホールディングス(現・メディパルホールディングス)の完全子会社となる。コバショウは同年4月にパルタックと統合し、パルタックKS(現・PALTAC)となる。

2月 配合の消臭剤除菌用品について、CMなどで謳った効果が過大だったとして、販売停止することを発表[9]

その後、以下の商品は順次販売を再開した。

銀のブルーレットおくだけ - 2008年2月に商品名を「ブルーレットおくだけ黒ズミ対策」に変更した上で、販売再開。

トイレその後に - 2008年2月よりパッケージを変更し販売再開。

銀の消臭元(タバコ用、ペット用、くつ・下駄箱用) - 2008年3月より商品名を「タバコ消臭元」「ペット消臭元」「くつ・下駄箱消臭元」に変更した上で販売再開。後に、「くつ・下駄箱用消臭元」は製造終了となり、「タバコ消臭元」と「ペット消臭元」は2016年1月現在も発売されている。

銀の消臭元スプレー - 2008年3月より商品名を「トイレの消臭元スプレー(イオンシトラス)」に変更した上で販売再開。

銀のゴミサワデー - 2008年3月より商品名を「ゴミサワデーEX」に変更した上で販売再開(なお、本製品は「ゴミサワデー」のリニューアルに伴い、2011年3月で製造終了)。

銀の消臭元 トイレ用 - 2008年3月より商品名を「トイレの消臭元(イオンシトラス)」に変更した上で販売再開。

エアコン徹底洗浄スプレー - 2008年4月よりパッケージを変更して販売再開(本製品は2010年3月より桐灰化学へ移管後、同社での販売を終了)。


6月 - 「銀の消臭元 トイレ用」「銀のブルーレットおくだけ」について、優良誤認にあたるとして公正取引委員会から排除命令を受ける[10]

7月 - 洗眼薬「アイボン」が映画『ゲゲゲの鬼太郎 千年呪い歌』とのコラボレーションを実施。映画では目玉おやじが「アイボン[注釈 2]」を使用する場面が登場したり、「アイボン」「アイボンWビタミン」のCMでは2008年7月1日から公開期間中まで、冒頭の「あっ! 小林製薬」を使用しない代わりに目玉おやじを登場させたりした。

9月 - ロングセラーブランド「サワデー」を刷新した「香り薫るサワデー」発売。

12月 - 石原薬品工業並びに石原道郎より肥満症対策の医薬品「ビスラットゴールド」の商標権を取得[11]2009年(平成21年)3月に「ビスラットゴールドa」として当社から発売。


2009年(平成21年)

4月 - 井藤漢方製薬との資本業務提携を解消。

5月 - 運営するウェブサイトの一部が不正に改ざんされる。改ざんされたウェブサイトは一旦閉鎖。復旧作業を行い同月28日に復旧完了。

8月 - 本社を大阪市中央区道修町4丁目4-10のKDX小林道修町ビルに移転。


2010年(平成22年)

4月 - 医療機器事業部門を分社化し、小林メディカル株式会社を設立。

9月 - 当社初の【第1類医薬品】となる膣カンジダの再発治療薬「フェミニーナ 膣カンジダ錠」を発売(本製品は同日に田辺三菱製薬から発売された「オキナゾールL100」のOEM品に当たる、2023年(令和5年)9月をもって製造終了)。


2012年(平成24年)5月 - 当社子会社の小林メディカル株式会社の株式の80%を三菱商事へ譲渡[12]。同年6月より連結子会社(完全子会社)から持分法適用関連会社となる(同年11月に日本メディカルネクスト株式会社へ商号変更。2013年5月に残りの20%の株式も三菱商事へ譲渡し、持分法適用関連会社からも除外)。

2013年(平成25年)

小林章浩が社長に就任。

3月 - 薬用ローション「オードムーゲ」の製造元である六陽製薬株式会社の株式93.9%を取得し、子会社化[13]

9月 - 旧法人の化粧品事業と商号を引き継いだジュジュ化粧品株式会社の全株式を取得し、完全子会社化[14]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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