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出典検索?: "小林興起"
日本の政治家小林 興起こばやし こうき
2016年
生年月日 (1944-01-01) 1944年1月1日(80歳)
出生地 東京都板橋区小竹町
(現:練馬区)
出身校東京大学法学部卒業
ペンシルベニア大学大学院修了
前職通産官僚
所属政党(自由民主党→)
(新党日本→)
(国民新党→)
(無所属→)
(民主党→)
(減税日本→)
(減税日本・反TPP・脱原発を実現する党→)
(日本未来の党→)
(つばさ日本→)
(国民党→)
(国民怒りの声→)
(自由国民党→)
(オリーブの木/自由国民党→)
新党やまと
称号経営学修士(ペンシルベニア大学・1973年)
法学士(東京大学・1966年)
配偶者奈良明子(元渋谷区議会議員)
公式サイト小林興起 公式サイト
衆議院議員
選挙区(旧東京5区→)
(東京10区→)
比例東京ブロック
当選回数5回
在任期間1990年 - 1993年
1996年 - 2005年
2009年 - 2012年
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小林 興起(こばやし こうき、1944年〈昭和19年〉1月1日 ? )は、日本の政治家、通産官僚。
衆議院議員(5期)、労働政務次官(第2次橋本内閣)、財務副大臣(第1次小泉改造内閣)、衆議院安全保障委員長、衆議院法務委員長、自由民主党国会対策委員会副委員長、新党日本代表代行(初代)、減税日本代表代行(初代)、オリーブの木代表(初代)などを歴任した。 東京都練馬区小竹町出身[1]。千代田区立九段中学校、東京都立日比谷高等学校卒業。1966年3月、東京大学法学部卒業。同年4月、通商産業省へ入省。 1973年、政府派遣留学でペンシルベニア大学院修士を修了してMBAを取得。帰国後に資源エネルギー庁、通商産業省産業政策局などを歴任し、1980年に聖心女子大学で非常勤講師を務めた。衆院選立候補準備のため1982年に通産省を退官。 1983年の第37回衆議院議員総選挙に旧東京5区(定数3)から無所属で立候補するも、候補者6人中6位で落選。1986年の総選挙も無所属で立候補するが次点で落選。 1990年の総選挙で自由民主党は現職の中村靖と小林の2人に公認を出す。社会党ブームに乗った高沢寅男が一気に票を伸ばしトップ当選を果たし、小林は得票数2位で初当選。中村は次点で落選した。当選同期には岡田克也・亀井久興・中谷元・福田康夫・石原伸晃らがいる。自民党で安倍晋太郎→三塚博派(清和会)に属した。 1993年の総選挙では新党ブームに押され、次点で落選。中村も落選した。 1996年10月の第41回衆議院議員総選挙では東京10区から立候補し2回目の当選を果たす。同年11月、第2次橋本内閣において労働政務次官に就任。 1998年8月、亀井静香や平沼赳夫らと清和会を離脱。1999年3月に志帥会(江藤隆美・亀井静香派)の旗揚げに参加した。 2000年6月の第42回衆議院議員総選挙で3回目の当選。敗れた民主党の鮫島宗明は比例復活で当選。 2002年に鈴木宗男事件では、自民党予算委員会の証人喚問で鈴木宗男が、「島田建設からの金銭供与は政治資金規正法に基づいている」「モザンビーク共和国洪水災害への国際緊急援助隊の派遣に反対や異議を述べることはあり得ない」「島田建設株式会社側による秘書給与の肩代わりの事実関係を承知していない」と述べた証言を偽証と判断し、議院証言法違反での告発に賛成した。同年、第1次小泉内閣で財務副大臣を務めた。 2003年11月の第43回衆議院議員総選挙で4回目の当選。
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