小林綾子
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小林亜也子」あるいは「小林彩子」とは別人です。

こばやし あやこ
小林 綾子
1995年4月、晩餐会にて
本名小林 綾子
生年月日 (1972-08-11) 1972年8月11日(51歳)
出生地 日本東京都
身長158cm[1]
血液型A
職業女優
活動期間1979年 -
配偶者なし(独身・離婚歴あり)
事務所東映マネージメント
公式サイト

東映マネージメント 小林 綾子小林 綾子 オフィシャルブログ
主な作品
テレビドラマ
おしん
いのち
剣客商売』シリーズ
渡る世間は鬼ばかり』(第4シリーズ)
なつぞら
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小林 綾子(こばやし あやこ、1972年8月11日 - )は、日本女優

東京都出身。東映マネージメント所属。以前は東映児童演技研修所→東映アカデミータレント部に所属していた。
来歴

5歳よりテレビドラマやCMを中心にタレント活動を始める
[2]。テレビの初仕事は、特撮ドラマ『仮面ライダー』でショッカーにさらわれる女の子の役だった[2]


NHKが児童劇団を通じて募集した約500人の応募者から選ばれ、1983年NHK朝の連続テレビ小説おしん』の主人公の少女時代を熱演し、一躍、その名を馳せることになる[2]。後年、『おしん』は海外80ヶ国以上[2]で放映された。


東京都立大泉高等学校卒業、立命館大学文学部英米文学科卒業[2]。大学時代は、オクラホマ大学での海外語学研修に参加。


1999年に4歳年上の大手建設会社勤務の建築デザイナーと結婚したが、2010年に離婚した[3]。元夫との間に子供はいない。


以降女優業の他、現在(2016年)は旅番組や情報バラエティ番組でも活躍。

エピソード
幼少期

幼少期に放送されていた子供向け特撮ドラマ『がんばれ!!ロボコン』(NETテレビ(現・テレビ朝日)系列)のヒロインであるロビンちゃん[注釈 1]チュチュやを着て踊る姿に憧れ、3歳から近所のモダン・バレエ教室に通った[2]。しかしほどなくしてクラシック・バレエ(詳しくはバレエを参照)でないと、憧れのトウシューズがはけないと分かって他の教室を探すことになった[2]

後日、母が見つけてきたのが東映児童演劇研修所で、母から「ここならバレエだけでなく、歌やお芝居の勉強もできるみたいよ」と勧められて入所[注釈 2]。すると劇団に入って3か月頃にポスターの仕事をもらい、ほどなくして『仮面ライダー』などのテレビ出演もトントン拍子で決まった[2]。以後、ドラマ『Gメン'75』、『特捜最前線』などに子役として出演した。その後も劇団経由で様々なオーディションを受けたが、1年ほど経つとしばらくは不合格が多くなった[2]
『おしん』で一躍、人気子役に

朝の連続テレビ小説『おしん』のオーディションに「きっと今回もダメだろうな」と思いながらも参加すると、主人公の少女時代に抜擢された。出演期間は6週間だったが、1冊2cmほどの分厚い台本を6冊と、本作の舞台の1つである山形県の方言テープを渡された。初めての撮影に入るまでの約1か月間は、母と二人三脚で台詞を頭に叩き込む毎日[注釈 3]を過ごした[注釈 4]

放送開始後から世の中が「おしんブーム」になると同時に、小林の知名度も一気に上がった[注釈 5]。当時小林が街なかに行くだけで「おしんだ!」とすぐにワーッと人が集まり、電車に乗るのも大変な時期があったという[2]。ただし、地元では以前と変わらない接し方をされたことから自然体で過ごせ、普通に学校に行ってクラブ活動や塾にも参加しており、当時プレッシャーに感じたことはなかった[2]。本作が世界各地で放送されると小林も10か国近くから色々とイベントに招待され、各地で熱烈な歓迎を受けた[注釈 6]

『おしん』の放送期間中、複数社からCMキャラクターのオファーを受け、カルビーかっぱえびせんのCMに起用され、おしんの少女時代をイメージした「綾子の大根飯」編が放送され「腹が減ったときには大根めしでもうまかった」とそのドラマの台詞を再現する行があった。
若手女優時代

中学・高校時代は学業を優先しながらも、土日や長期休暇を利用して女優業を続けた。当時親戚に教師が多かったことから、「将来は小学校教師になりたい」と大学進学を決意。遡って小学6年生の頃に日中青年友好交流に参加した際、周りの大人たちが英語で会話しているのを見て英語に興味を持ったことから、その後大学で英米文学を学ぶことを決めた。

大学生として就職活動の時期になるがその年は就職氷河期で、企業まわりで苦労する友人から、「綾子は好きなこと(芝居)ができていいね」と言われた。その言葉を聞いて「自分は表現することがやはり好きだ」と改めて気づき、大学卒業後も女優を続けることを決意[注釈 7]

10代の頃は役者として、「テレビに関しては、ある程度表現できている」と自負していた[2]。しかし20歳に出演した初の舞台『流水橋』では、テレビで培ったことが全く通用せず、大きな挫折を味わった[2]。その様子に気づいた山岡久乃(本作で育ての母親役を演じた)から、手取り足取り芝居のイロハを教えられた[注釈 8]。以前なら上手くいかずにウケが悪かった場面で、山岡の教えにより間(ま)が良くなったことで、ある日客席がドッと沸いた[2]。その場面が終わって楽屋に戻る途中、待っていた山岡から「できたじゃない!!」と抱きしめて一緒に喜んでくれたという[注釈 9]
人物

姉がいる
[2]

特技:クラシックバレエ、ソシアルダンス、ピアノ、日舞、ウクレレ、英会話、茶道(表千家講師)。

趣味:旅行、登山、読書、映画鑑賞。

『おしん』のイメージが強いせいか、他人から「大人しくて、家で読書や編み物をしてそう」とよく言われるが、普段はアウトドア派である[2]。昔からおてんばで活発な性格で、小さい頃から体を動かすのが好きで、当時は木登りが得意で走るのも速かった[2]。また、登山好きな母の影響を受け、小さい頃からずっと休日を利用して山登りに出かけている[2]。中学では3年間軟式テニス、高校では器械体操部に所属していた[2]

大学時代、将来舞台をやるには着物での所作ができた方がいいと知り、大学卒業と同時日本舞踊と茶道を始めた[2]。茶道ではその後、表千家の講師の免状をもらった[2]

28歳から始めた社交ダンスは長年に渡り(2016年現在)続けている[2]

役者という仕事の最大の魅力について、「見てくださった方が喜んでくださること」としている[注釈 10]

出演
テレビドラマ

仮面ライダー (スカイライダー) 第14話、22話(1980年、毎日放送TBS


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