「小林智樹」とは別人です。
小林 知己(こばやし ともき、(1948年〈昭和23年〉8月19日[1][2] - 2009年〈平成21年〉[3][4][注釈 1])は東宝の特殊技術専門の造型家。彫刻家。新潟県出身[出典 1]。 専門学校卒業後、背景画家の島倉二千六[注釈 2]の紹介で1973年に東宝映像美術に入社した[2][5]。当初は島倉と同じ背景画家を志していたが、造型部に配属されて安丸信行に師事し、造型マンとして活動した[出典 2]。 1989年の『ゴジラvsビオランテ』では、多忙な安丸に代わり、ゴジラの頭部原型とスーツ製作を担当した[出典 3]。その後、1991年の『ゴジラvsキングギドラ』で正式にクレジットされ、翌1992年の『ゴジラvsモスラ』より造型チーフとなる[2][注釈 3]。 安丸は、小林について無口だが仕事は真面目で巧かったと述べている[7]。平成ゴジラvsシリーズでゴジラのスーツアクターを務めた薩摩剣八郎は、小林について職人肌で口数が少なかったが人情味があり、無理な意見にも応じてくれたことを証言している[11]。ゴジラシリーズで美術助手を務めた小川正は、小林はゴジラよりも広島平和記念資料館などの史実の再現にのめり込んでいたと述懐している[12]。 平成ゴジラシリーズで大変だったこととして時間がないことを挙げており、研究する時間や予算がないため従来の手法を踏襲していくしかなかったと述べている[6]。 2009年、癌のため死去[4]。怪獣造型としては、『ゴジラ FINAL WARS』のマンダが最後となった[4][13]。
来歴・人物
主な参加作品
映画
1973年 - ゴジラ対メガロ:造形助手[1]
1973年 - 日本沈没:石膏助手
1974年 - ゴジラ対メカゴジラ:造形助手
1975年 - メカゴジラの逆襲:造形助手
1977年 - ハウス[1]
1977年 - 惑星大戦争:造形助手
1984年 - さよならジュピター:造形助手
1984年 - ゴジラ:造型助手
1987年 - 竹取物語:造形助手
1989年 - ガンヘッド:石膏助手
1989年 - ゴジラvsビオランテ:造型助手
1991年 - ゴジラvsキングギドラ:造型チーフ
1992年 - ゴジラvsモスラ:造型チーフ