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小林 正(こばやし ただし、1933年4月24日 - )は、日本の政治家、教育評論家。元参議院議員(1期)。「日本教育再生機構」代表委員。教科書改善の会賛同者。「日本の教育改革を進める会」理事。「日本の教育改革」有識者懇談会(民間教育臨調)教育制度部会長。新しい憲法をつくる国民会議理事。協和協会理事。元新しい歴史教科書をつくる会会長。世界戦略総合研究所
評議員。
目次
1 経歴
2 人物・主張
3 つくる会会長解任、再生機構への合流
4 著書
5 編著書
6 脚注
7 関連項目
この節は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(2017年7月) 年譜形式の経歴は推奨されていません。人物の伝記は流れのあるまとまった文章で記述し、年譜は補助的な使用にとどめてください。(2017年7月) かつて日教組で活動していた際には、右派の現代教育労働運動研究会(現教研)の中心人物の一人。
経歴
1933年 東京府に生まれる。
1957年 横浜国立大学学芸学部哲学科を卒業。川崎市立中学校教諭となる。
1982年 日教組の中では右派に属する神奈川県教職員組合の委員長に就任。組合を労働組合から職能団体・互助会へ変質させることを目指した。
1989年7月 第15回参議院議員通常選挙神奈川県選挙区に日本社会党公認で出馬し当選。派閥は右派であり、民社党、社民連との連携を最重視した。党内若手改革派議員でつくる「アクション・ニュー・デモクラシー」(AND)や超党派若手議員の政策集団「シリウス」などに属した。
1992年12月 参議院本会議で衆議院定数是正「9増10減」案採決の際、党方針に反して賛成。厳重注意処分に。
1993年1月 党改革が進まないことを理由に社会党に離党届提出。民主改革連合に所属。
1993年5月 社会党を除名。
1994年7月 新生党に入党。
1994年12月 新進党結成に参画。参議院院内会派の新緑風会政策審議会長に就任。
1995年5月 第17回参議院議員通常選挙にあたって、新進党は神奈川県選挙区の候補者を公明系新人松あきら1人に絞り、小林は比例区からの出馬を打診されたが拒否し離党。
1995年7月 神奈川県選挙区に無所属で出馬したが落選し、供託金没収。
1998年7月 第18回参議院議員通常選挙比例区に自由党公認で出馬したが、名簿順位が低く落選。政界引退。教育評論家に転じる。
2006年4月 新しい歴史教科書をつくる会(つくる会)理事に就任。
2006年6月 つくる会会長に就任。
2006年10月 日本教育再生機構代表委員に就任。
2006年12月 参議院教育基本法に関する特別委員会に国民新党推薦で参考人招致されるも、民主党の佐藤泰介・神本美恵子・那谷屋正義・水岡俊一(いずれも日教組の組織内議員)の反対により参考人を外される。
2007年5月 つくる会会長を解任。
2007年8月 つくる会会員を除名。
人物・主張