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小林 晋一郎(こばやし しんいちろう[1]、(1955年〈昭和30年〉[2]5月25日[出典 1] - )は、日本の歯科医師[1]、歯学者、開業医[2][4]。神奈川歯科大学短期大学部客員教授、元神奈川歯科大学口腔外科(現・顎顔面外科学講座顎顔面外科学分野)講師。北海道[出典 2]札幌市[3][2]出身。
本業ではないが、特撮ファンとしての執筆活動も行っており、「ゴジラシリーズ」と「ウルトラシリーズ」でそれぞれ1回ずつストーリー原案が採用されたことがある[出典 3]。 1980年に神奈川歯科大学歯学部卒業後、神奈川歯科大学口腔外科大学院に進学、1984年歯学博士号を取得[7]し、卒業後は、口腔外科助手、講師(1988年 - )を経て開業[5]。現在同講座(現・顎顔面外科学講座顎顔面外科学分野)非常勤講師および神奈川歯科大学短期大学部客員教授を務める[5]。 学生時代には、萩尾望都の影響を受けて漫画家を目指したこともあり、『週刊マーガレット』の新人漫画賞に入選し、同誌にデビュー作が掲載される予定であったが[8][1]、大学院の学位論文発表と重なったため執筆を断念した[9]。この時に執筆していた作品の1つである『風に哭くビオランテ』は後に『ゴジラvsビオランテ』にアイデアを転用している[1]。 参考:[6]
経歴
関わった特撮作品
テレビ
『帰ってきたウルトラマン』第34話「許されざるいのち」(1971年)
当時高校生だった小林が、13本分の怪獣デザインとストーリー原案を円谷プロに送ったところ、そのうちの1本(題名は『狂った生命』)が採用された[4]。この回に登場した怪獣「レオゴン」の原案をデザインし[10]、これは当時の新聞にも掲載された。
『ミラーマン』(1971年)
第3話「消えた超特急」に登場した怪獣・ダークロンの原案をデザイン[11][12]。『帰ってきたウルトラマン』用にデザインしたガロア星人が元である。
映画
『ゴジラvsビオランテ』(1989年)
ストーリー原案コンテストの公募作品5,025本の中から選ばれた[13][14]。また、本作品以降のゴジラには歯科医である小林の意見が取り入れられ、歯が二重歯列となっている[出典 4]。公開当時の正業は、神奈川歯科大学講師[3]。同作品には、エキストラとして小林の実子も出演している[17]。
『ゴジラvsスペースゴジラ』(1994年)
自身が描いたデザイン案と共に企画書『ゴジラvsネオゴジラ』を提出しており、完成作品でのスペースゴジラの基本コンセプトである「結晶生物」のアイデアのもととなっている[18]。タバコモザイクウイルスを基に、生物であり生物でない存在という発想でデザインされた[19]。
『ゴジラ2000 ミレニアム』(1999年)
エンディングテロップで「協力」として名前がある。
著作
主な著作・共著
『ウルトラマン白書』(朝日ソノラマ) - 第1版にて『形態学的ウルトラマンデザイン論』を書く。
『形態学的怪獣論』朝日ソノラマ、1993年
共著『怪獣大戦争 怪獣小説集II』出版芸術社、1993年[注釈 1]
共著『イザ! という時、この処方』クインテッセンス出版、1997年
『秋の日のヴィオロンとゴジラ / 歯界展望』医歯薬出版、1998年 - 1999年連載
『初心者のための智歯抜歯』クインテッセンス出版、1999年
『バルタン星人はなぜ美しいか 形態学的怪獣論〈ウルトラ〉編』朝日ソノラマ、2003年[4]
共著『歯科臨床に役立つ炎症の話』クインテッセンス出版、2007年
共著『「ゴジラ」東宝特撮未発表資料アーカイヴ プロデューサー・田中友幸とその時代』角川書店、2010年[注釈 1]
雑誌連載
『新・形態学的怪獣論』 - 特撮雑誌「宇宙船」にて連載。ウルトラ怪獣のデザインについての論考。1995年冬号(71号)から掲載。
その他
怪獣画廊(開田裕治、1995年、メディアワークス) - 各章の扉に一文を書く。
論文
小林晋一郎、木下靱彦、本間義郎「 ⇒顎下部Warthin腫瘍の1例 組織化学的および電顕的検索を加えて」(PDF)『日本口腔外科学会雑誌』第28巻第6号、日本口腔外科学会、1982年6月、891-902頁、doi:10.5794/jjoms.28.891