小林昭司
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セレス 小林基本情報
本名小林 昭司
階級スーパーフライ級
国籍 日本
誕生日1973年2月27日(36歳)
出身地茨城県坂東市(旧岩井市
スタイル左ボクサーファイター
プロボクシング戦績
総試合数32
勝ち24
KO勝ち14
敗け5
引き分け3

セレス 小林(セレス こばやし、男性、1973年2月27日 - )は、日本プロボクサー。本名は小林 昭司(こばやし しょうじ)。茨城県岩井市出身。茨城県立岩井西高等学校卒。元WBA世界スーパーフライ級王者。左ボクサーファイター。

ポルトガル語で「青空」を意味するリングネームの「セレス」は、本人が現役時代に勤務していた冠婚葬祭会社「千代田セレモニー」から取った。主な入場テーマはSTRATOVARIUSの「ANTHEM OF THE WORLD」。
目次

1 来歴

2 引退後

3 戦績

4 獲得タイトル

5 著書

6 関連項目

7 外部リンク

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来歴

幼少時から
合気道を始める。岩井西高校3年時に国際ボクシングジムボクシングを始める。

1992年4月17日バンタム級でプロデビューするも、4R判定負け。

1994年12月17日全日本新人王決定戦へのスーパーフライ級東軍代表決定戦で佐藤晃協栄ジム)に引き分けるも、敗者扱いで東日本新人王のタイトル獲得ならず。

B級ボクサー賞金トーナメントでスーパーフライ級優勝(同バンタム級優勝者は大和心)、飯田覚士スパーリングパートナー務めた。

A級ボクサー賞金トーナメント決勝で柳光和博に判定で敗れスーパーフライ級準優勝(同バンタム級優勝者も大和)。川島郭志のパートナー務めた

1997年9月13日、日本王座初挑戦も、同フライ級王者スズキ・カバトに3R負傷引き分けで、王座獲得ならず。

1998年4月4日、カバトに再挑戦するも、10R判定負けで王座獲得ならず。

1998年9月30日、カバトに3度目の挑戦。10R判定勝ちを収め、日本フライ級王座獲得。

1999年3月6日、駒大出身で1995年全日本アマチュアボクシング選手権大会フライ級準優勝しプロ3戦目で日本タイトル挑戦となる石原英康に7RKO勝ちし初防衛に成功。

1999年7月3日寺尾新に9RTKO勝ちで2度目の防衛に成功。

1999年11月7日、秋田勝弘に3-0の判定勝ちで3度目の防衛に成功。

2000年4月2日、世界ランカーの浅井勇登に7RKO勝ちで4度目の防衛に成功。

2000年8月20日、日本王座在位のまま両国国技館にて世界初挑戦。WBC世界フライ級王者マルコム・ツニャカオフィリピン)に挑むが、引き分けで王座奪取ならず。この一戦は採点ミスがあったため本来は小林が勝利していたとされる(日本フライ級王座保持したまま世界初挑戦→ツニャカオ戦後に一時的に八尋史朗との5度目の防衛戦が内定→1階級上げての世界再挑戦が決定し王座返上=八尋戦はお蔵入り)。

2001年3月11日横浜アリーナにて2度目の、そして事実上最後の世界挑戦。WBA世界スーパーフライ級王者レオ・ガメスベネズエラ)を左フックで10RTKO勝ちに降し、世界王座獲得。同年9月1日に元チャンピオンヘスス・ロハスと12R引分で初防衛。

2002年3月9日日本武道館で行われた2度目の防衛戦で21戦全KO勝ちのアレクサンデル・ムニョス(ベネズエラ)に8RTKO負けを喫し、王座陥落。この試合を最後に引退徳山昌守の5度目の防衛戦の相手として名前が浮上していたが、本人が固辞)。

引退後

レパード玉熊同様に古巣・国際ジムでのトレーナー生活を経て、千葉県柏市に「セレス小林ボクシングジム」を2003年11月に開設。


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