この項目では、映画監督の小林恒夫について説明しています。プロ野球選手の小林恒夫については「小林経旺」をご覧ください。
こばやし つねお
小林 恒夫
本名同じ
生年月日 (1911-09-19) 1911年9月19日
没年月日 (1991-12-06) 1991年12月6日(80歳没)
出生地 日本・東京都
職業映画監督・脚本家
ジャンル映画・テレビドラマ・演劇
活動期間1934年 - 1991年
主な作品
映画
『終電車の死美人』
『点と線』
『陸軍諜報33』
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小林 恒夫(こばやし つねお、1911年9月19日 - 1991年12月6日)は、日本の映画監督・脚本家。東京都京橋出身。東映で現代劇をメインに撮っていた。
来歴
1934年、日本大学芸術科を卒業。宝塚歌劇団のレビュー台本公募で入選、上演される[1][2][3]。
1935年、前年の公募入選がきっかけとなり、同じ東宝系列の東京発声映画製作所演出部に入社して豊田四郎に師事。『若い人』(1937年)、『小島の春』(1940年)のスタッフとして参加する[1]。
1939年、招集を受け従軍[3]。
1941、復員し、東京発声映画製作所演出部に復帰する[2][3]。
1942年、同社が東宝と合併して以降、戦中戦後を通じて、東宝の巨匠たちや新人時代の黒澤明のチーフ助監督(監督補佐/二班監督)を務める。
1947年4月27日、結婚。後、一女を授かる[2][3]。
1951年、16年間勤めた東京発声→東宝を以前一緒に仕事をしていたプロデューサー松崎啓次に誘われて東横映画に移籍後、ほどなく東映に改組。
1952年、『人生劇場(第一部1952年-第二部1953年)』(佐分利信監督)の助監督を務める[2]。
1953年、『続魚河岸の石松』(小石栄一と共同監督)で監督昇進[1][2]。
1955年、『第6回ブルーリボン新人監督賞』受賞[2]。 ※対象作品『終電車の死美人』『暴力街
その後、テレビドラマ、PR映画の演出を手がける[1][3]。テレビ映画では主に東映と古巣の東宝(系列会社宝塚映画も含む)製作作品の演出を多く手がけた[1][3]。