小林 亜星
別名小林 亞星
マーク・HAMA
生誕 (1932-08-11) 1932年8月11日
出身地 日本・東京府豊多摩郡代々幡町
(現:東京都渋谷区)
死没 (2021-05-30) 2021年5月30日(88歳没)
日本・東京都
学歴慶應義塾大学経済学部卒業
ジャンルアニメ・特撮
歌謡曲
映画音楽
ジャズ
CMソング
職業作曲家
作詞家
俳優
タレント
事務所アストロミュージック
公式サイト ⇒小林亜星オフィシャルサイト
小林 亜星(こばやし あせい、1932年8月11日 - 2021年5月30日[1])は、日本の作曲家、作詞家、俳優、タレント。血液型はO型。
日本作詞作曲家協会(J-scat)理事、大日本肥満者連盟(大ピ連)初代会長を務めた。
CM曲や歌謡曲、アニメソング、テレビ番組のテーマ曲など、生涯に6,000曲以上を残した[1]。1976年「北の宿から」で日本レコード大賞を受賞し、2015年には日本レコード大賞功労賞を受賞した[1]。
妹はイラストレーターの川村みづえ。次男は元俳優・元学習塾講師の小林朝夫。従甥(母・塩子の兄の孫)に経済学者の有賀敏之がいる。 東京都渋谷区幡ヶ谷[2]生まれ、杉並区堀ノ内で育った。父方の祖父は新潟で病院を経営していた医師、父は逓信省の官僚、母は新築地劇団の元女優で[3][2]、小林を産むまで劇団に所属していた[4]。 「亜星」の名は、母が尊敬する演出家・村山知義の息子・村山亜土の名前に因んで命名された[3][2]。へんてこな名前を付けられたうえ、戦時中も「パパ、ママ」と呼ばされるなど、筋金入りの共産主義者だった母にはことごとく反発する少年時代を送った[4]。東京府東京市大宮国民学校(現:杉並区立大宮小学校)6年生の夏に戦争のため長野県小諸市に学童疎開し[5]、中学進学後は母の郷里長野県南佐久郡(現佐久市)に縁故疎開して、当地で終戦を迎えた[3]。軍国少年だった小林は「これで私たちの時代がくる」と敗戦に大喜びしていた母が許せなかったという[4]。 旧制慶應義塾普通部から慶應義塾高等学校(同じクラスに音楽家の冨田勲、林光がいた)を経て、父の勧めで慶應義塾大学医学部に入学したものの医師になりたくはなく、音楽サークルでの活動に熱中したことで親に断りなく経済学部に転部して卒業。卒業時に親の知るところとなり失望された。 大手製紙会社に入社するも数ヶ月で退社し、大学の先輩で放送関係の仕事をしていた作曲家・服部正に師事した[1]。当初は服部に「音楽大学出身者以外の弟子は取らない」と断られたが、連絡先を書いたメモを郵便受けに置いて帰った所、数日後に電話で入門を認められた。当時は痩せていたという。 出世作のレナウンのコマーシャルソング「ワンサカ娘」(歌:弘田三枝子)は、当時レナウンの宣伝部に在籍していた実妹(川村みづえ:イエイエのCMのイラストは川村の作品)の紹介で実現したという。
経歴
生い立ち
作曲家デビュー