小林 一知
生誕1835年
日本福岡県
死没1906年
国籍 日本
研究分野気象学
プロジェクト:人物伝
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小林 一知(こばやし かずとも、1835年 - 1906年)は、幕末期から明治期半ばの日本の測量及び気象官僚。第2代中央気象台台長。最後の咸臨丸船長。 1835年(天保6年)、現在の福岡県にて出生。1858年、築地の軍艦操練所で荒井郁之助らと学び、そのまま教官となる。1868年、戊辰戦争では榎本武揚に従い咸臨丸を操縦し箱館に向かうが、嵐のため遭難し早くに官軍に降伏した。 1869年(明治2年)、明治政府の簡単な処罰の後、民部省に出仕し、地理司と土木司の大佑を兼務。旧幕臣技官を集めて国土測量事業を起こそうとしたが、民部省廃止のため頓挫。鉄道掛の小野友五郎や佐藤政義らに協力し一時鉄道測量に参加したが、工部省が発足すると小林は鉄道寮にも測量司に属せず土木寮に留まった。すぐに土木寮は大蔵省に移管され、そこで地租改正に伴う国土測量事業の創設を待った。1874年(明治7年)1月、大蔵省土木寮と工部省測量司が内務省に移管され、小林はひと月の間土木寮にいたが、同年2月、部下30数名とともに測量司に転任。旧工部省測量司職員を排斥し、測量司の主導権を奪うも、内務卿大久保利通の全国測量事業の縮小と廃止により、気象観測に活路を見いだすことになる。同年8月、測量司は独自の目的を失い地理寮の量地課に縮小され、地域開発のための要地測量と、地租改正に伴う緊急測量に駆り出され、1877年(明治10年)には地理局測地課と改称。小林一知は岩橋教章、阿曾沼次郎
略歴
気象業務では測候所の増設、暴風警報の天気予報の創業などを行い、後に戊辰戦争で行動を共にした荒井郁之助の後を受け、1891年(明治24年)第2代中央気象台長に就任した。
出典
文倉平次郎『幕末軍艦咸臨丸』
地図測量人名事典 『小林一知 』 - weblio辞書
表
話
編
歴
中央気象台長 (1891年-1895年)
中央気象台長
荒井郁之助1890-1891
小林一知1891-1895
中村精男1895-1923
岡田武松1923-1941
藤原咲平1941-1947
和達清夫1947-1956
気象庁長官
和達清夫1956-1963
畠山久尚1963-1965
柴田淑次1965-1969
吉武素二1969-1971
高橋浩一郎1971-1974
毛利圭太郎1974-1976
有住直介1976-1978
窪田正八1978-1980
増澤譲太郎1980-1983
末廣重二1983-1985
内田英治1985-1987
菊地幸雄1987-1990
立平良三1990-1992
新田尚1992-1993
二宮洸三1993-1996
小野俊行1996-1998
滝川雄壮1998-2000
山本孝二2000-2003
北出武夫2003-2004
長坂昴一2004-2006
平木哲2006-2009
櫻井邦雄2009-2011
羽鳥光彦2011-2014
西出則武2014-2016
橋田俊彦2016-2019
関田康雄2019-2021
長谷川直之2021-2023
大林正典2023-2024
森隆志2024-