こばやし かつよ
小林 カツ代
生誕1937年10月24日[1]
日本・大阪府大阪市
死没 (2014-01-23) 2014年1月23日(76歳没)
日本・東京都
出身校帝塚山女子短期大学[2]
職業料理研究家
子供ケンタロウ(料理研究家)
テンプレートを表示
小林 カツ代(こばやし カツよ、1937年(昭和12年)10月24日 - 2014年(平成26年)1月23日)は、日本の料理研究家・エッセイストである。神楽坂女声合唱団創設者[3]、団長[4]。血液型O型[5]。 料理研究家として、簡単ではあるが手抜きではない料理を研究、紹介しており、生涯で出版した著書は200冊を超える[6]。また、台所用雑貨や食器のプロデュース、講演活動も行っていた[7]。 長男のケンタロウも料理研究家[8]。選択的夫婦別姓制度実現をめざす民法改正運動を行っているmネット(民法改正情報ネットワーク)の呼びかけ人でもあった[9]。 1937年(昭和12年)、大阪市で製菓材料の卸問屋を経営する一家に生まれた[1][10]。幼少のころ父や母に大衆食堂、フランス料理店、高級中華料理店、日本料理店に連れていかれたため舌は肥えていたという[10]。しかし、子供のころは絵画や漫画に興味を持ったため、母から料理を教わることは皆無であった[10]。堀江国民学校(現・大阪市立堀江小学校)に入学したが、虚弱体質だったため、学校の授業はほとんど出ていない[11]。1945年(昭和20年)大阪大空襲を体験、家が焼けたため[12]、一家で堺市北区の旧家・筒井家 中学生時代には「漫画少年」に漫画を投稿していた。当時の投稿仲間には石ノ森章太郎がいる[15]。その後、帝塚山学院短期大学を卒業した。同校では国文学を専攻している[2]。 21歳の頃、結婚して専業主婦となったが料理の腕前はからきしひどいものであった。小林が夫に初めて作ったみそ汁は、水にみそを入れ、もどしていないワカメを放り込んだものである[10][16]。その後、小林は一念発起し母、青果店、鮮魚店、近隣住人などの料理上手な人から教えられ、料理の腕を上げていくこととなる[10]。 1963年(昭和38年)ごろ、テレビのワイドショーへの投書がきっかけとなり番組に出演し料理を披露した[16][17]。これにより料理研究家としての活動を開始することとなり、大阪ローカルのレギュラー番組を持つほどになった[16]。
人物
経歴