小松菜
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コマツナ
コマツナ
分類

:植物界 Plantae
:被子植物門 Magnoliophyta
:双子葉植物綱 Magnoliopsida
:アブラナ目 Brassicales
:アブラナ科 Brassicaceae
:アブラナ属 Brassica
:ラパ B. rapa
変種:コマツナ Var. perviridis

学名
Brassica rapa L. var. perviridis L.H.Bailey[1]
シノニム


Brassica campestris L. var. komatsuna Matsum. et Nakai[2]

和名
コマツナ(小松菜)
英名
Komatsuna
Turnip leaf
Turnip green
Japanese Mustard Spinach

コマツナ(小松菜、学名: Brassica rapa var. perviridis)とは、アブラナ科アブラナ属野菜の1種である。冬菜(フユナ)、鶯菜(ウグイスナ)とも呼ばれる。冬場が旬のビタミン、鉄分、カルシウムが豊富な緑黄色野菜で、関東東京地方での生産量が多い。江戸時代から栽培されてきた東京の小松川界隈が発祥の漬け菜で、クセがなく様々な料理に使え、正月の関東風の雑煮に欠かせない。和名「コマツナ」は、この小松川地区の地名から名前がついた関東地方を代表する菜っ葉である[3]。主に冬に食べる葉物野菜として重宝される[3]
名称と来歴小松菜発祥の地とされる香取神社(東京都江戸川区中央)。「小松菜産土神」の碑がある。

コマツナは、ツケナ類(野沢菜チンゲンサイなど、アブラナ科の非結球葉菜の総称)の一種で、江戸時代初期に現在の東京都江戸川区小松川付近で[4]ククタチナ(茎立ち)を品種改良して栽培され始めたと言われている。

小松川地区にある香取神社には小松菜の由来が伝わる。1719年享保4年)、江戸幕府8代将軍、徳川吉宗が鷹狩りで西小松川を訪れ、そこで食事をする際に香取神社が選ばれ、時の神主亀井和泉守永範が接待したが、これといった食材もなかった。そこで餅のすまし汁に青菜を彩りに添えたところ、吉宗はこの青菜を気に入り、神社のある地名から小松菜と命名したという[5][6]。また、一説には5代将軍、徳川綱吉によって名付けられたという説も伝えられている[4]

コマツナは江戸時代なかばまでは「葛西菜」と呼ばれていた。『大和本草』には「葛西菘(かさいな)は長くして蘿蔔(だいこん)に似たり」とあり、『続江戸砂子』では、菜葉好きが全国の菜葉を取り寄せたが「葛西菜にまされるはなし」と高く評価した。葛西菜が品種改良によって小松菜になったのだが、『本草図譜』に描かれた葛西菜は、現在の丸い葉のコマツナとは異なる。青葉高によれば小松川の椀屋久兵衛(1651年 - 1676年)が葛西菜をコマツナに改良したというが、『江戸川区史』によれば椀屋久兵衛が評判の高かった葛西菜をわざわざ江戸から上方に取り寄せて人に振る舞ったという。椀屋久兵衛とは、数々の豪遊のあまり身を持ち崩し、浮世草子『椀久一世の物語』にもなった上方の豪商である。

葛西菜が小松菜と改称された理由の1つに、江戸市中の糞尿を持ち帰って下肥とし、野菜を江戸に運んだ葛西船(かさいぶね)の存在を挙げる向きもある。


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