.mw-parser-output .side-box{margin:4px 0;box-sizing:border-box;border:1px solid #aaa;font-size:88%;line-height:1.25em;background-color:#f9f9f9;display:flow-root}.mw-parser-output .side-box-abovebelow,.mw-parser-output .side-box-text{padding:0.25em 0.9em}.mw-parser-output .side-box-image{padding:2px 0 2px 0.9em;text-align:center}.mw-parser-output .side-box-imageright{padding:2px 0.9em 2px 0;text-align:center}@media(min-width:500px){.mw-parser-output .side-box-flex{display:flex;align-items:center}.mw-parser-output .side-box-text{flex:1}}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .side-box{width:238px}.mw-parser-output .side-box-right{clear:right;float:right;margin-left:1em}.mw-parser-output .side-box-left{margin-right:1em}}この項目には、JIS X 0213:2004 で規定されている文字(ハートマーク)が含まれています(詳細)。
こまつ みかこ
小松 未可子
【二代目ファンキル先生 #39】(2016年)より
プロフィール
愛称みかこし[1]、@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}こまみん、こまっちゃん[要出典]
性別女性
出身地 日本・三重県桑名市[2]
生年月日 (1988-11-11) 1988年11月11日(35歳)
血液型B型[3]
身長160 cm[4]
職業声優、女優、歌手
事務所ヒラタオフィス[4]
配偶者前野智昭(2020年 - )[5][6]
公式サイト小松未可子 Official Website
小松 未可子(こまつ みかこ、1988年11月11日[3][11] - )は、日本の声優、女優、歌手。三重県桑名市出身[2]。ヒラタオフィス所属[4]。所属レコードレーベルはトイズファクトリー[10]。夫は声優の前野智昭[5]。
代表作には『HEROMAN』(ジョーイ)、『モーレツ宇宙海賊』(加藤茉莉香)、『ガンダムビルドファイターズ』(イオリ・セイ)などが、代表曲に「Black Holy」などがある[12]。 2003年にニッポン放送『藤井隆のオールナイトニッポンR』の1コーナーでオーディションが行われ合格。後にアイドルグループ・いもうとのメンバーの一人「みかこ(小林未可子)」としてデビュー[8]。当時はアイドルになってから土日だけ東京で仕事をし、平日は三重県で学校に通う生活をするようになり、これからがんばっていく感じだったため、「まだレッスン中なんだよね……」のような感じで小松としては胸を張って芸能の仕事をしているとはいえない気持ちだった[8]。 自信はなく周囲から特別扱いされることに申し訳なさもあるような複雑な気持ちで学校に通っていた[8]。その時、「ここからアイドルとして活動していくんだろうな」とは感じており、ユニットの4人のあいだには結束もあったが、当時はアイドルが何をしたらいいのか、1ミリもわかっていなかったという[8]。 CDデビューした時にリリースイベントで、当時は「曲を聴いてください」とアピールすることもなく言われたことをしているだけだったという[8]。客のためにアイドルがどうすればいいのか考えたことがなかったため、お渡し会でも「ありがとうございます!」しか言えずに終わり、その後はレッスンだけの日々が続いていた[8]。 いもうとのメンバーの中でも、アイドルになりたい、女優になりたい、新喜劇に行きたいと少しずつ未来への志が違ってきたが、当時は何も見つからず、「私はアイドルをやりたかったのだろうか!?」と考え始めるところまで来ていたという[8]。 当時のライブ活動はリリースイベント以来一切したことがなく、たまに来ていたオーディションを受けて、ソロで舞台に受かると舞台に出演の繰り返しであり、アイドルとして活動している感覚が薄く何をやりたいか迷子の時期がしばらく続いていたという[8]。 18歳くらいの頃にメンバーそれぞれがソロの活動をするようになっていく中で、偶々学園もののテレビドラマに参加できる機会があり、その現場では、小松が最年長くらいで、下は12、13歳くらいの役者もいた[8]。しかしそれぞれ演技プランを持ち、「私はこういう役だから、ここの芝居はこういう態度に徹する」、「ここでふたりの絡みがあるから、アドリブをやろうよ!」といった高度な話をしており、カルチャーショックを受ける[8]。同年代たちがカメラに映っていなかった時も真剣に役に取り組んでいる姿に衝撃を受けており、「自分が本当にやりたいことってなんだろう」と考えるようになったという[13]。 その後は少しずつ周囲の役者の芝居を見ながら「芝居ってこういう風にやっていくものなんだ」と勉強していき、テレビドラマの撮影があった3ヶ月間、そういった経験をしたことで、「目標がないままこの世界にいるのは失礼だ」と感じるようになった[8]。 2007年9月に「いもうと」を脱退[14]。テレビドラマの少し前から大学に通い始めていたため、「一度学業を優先して人生を考え直してみよう」と思い、事務所を退所して、芸能活動を休止したという[8][13]。 その後、アルバイトをしたり学業に専念しながら、経験したことを振り返えていくうちに、芝居を作っていくことの面白さに気づいたこと、マスコミ業界を目指していた友人から「就活と並行して芸能でやりたい仕事があったら受けてみたらいいんじゃない?」とアドバイスを受けて、「もうちょっと自分を試してみてもいいのかな」と思うようになった[8][13]。
略歴