こまつ ほうせい
小松 方正
本名小松 豊成(こまつ とよしげ)
生年月日 (1926-11-04) 1926年11月4日
没年月日 (2003-07-11) 2003年7月11日(76歳没)
出生地 日本・長野県松本市
死没地 日本・東京都新宿区
身長170 cm[1]
血液型O型[2]
職業俳優、声優
ジャンル映画、テレビドラマ、吹き替え、アニメ
活動期間1950年代 - 2003年
主な作品
『絞死刑』
『神々の深き欲望』
『心中天網島』
『マルサの女2』
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小松 方正(こまつ ほうせい、1926年〈大正15年〉11月4日 - 2003年〈平成15年〉7月11日)は、日本の俳優、声優。本名は小松 豊成(こまつ とよしげ)。 長野県松本市出身[3]。生まれつき体が弱く、3歳の頃に肺炎を患い生死の境をさまよったことがあるという。小学校卒業後、叔父を頼って上京し昌平中学に入学した。卒業後、満鉄の技術員養成所に入るが、結核を患って退社する。1945年(昭和20年)、終戦直前に海軍へ入り、同年8月6日の原爆投下の前日まで広島市にいた[4]。東京の警備隊に転勤となり前夜8月5日、最終列車で東京に向かう。新型爆弾投下をラジオで聞いた場所は、空襲の影響で列車が止まった静岡県掛川駅だった[5]。その後、大蔵省管理局へ転官になり、東京の海軍功績調査部で終戦を迎える。大蔵省時代は役人向けの小さな新聞の記者も担当しており、はじめてのインタビュー相手が当時映画『善魔』でデビューしたばかりの三國連太郎であった。この時の縁で小松は三國が原作・脚本・監督を担当した『親鸞 白い道』に僧侶・宇都宮蓮生役で出演している。大蔵官僚になったものの、周りは東大出身者ぞろいで将来を危ぶみ、せめて大学を出たいと、中央大学専門部法学科に大蔵省の役人のまま入学した[6]。この頃大蔵省の演劇サークルに入り、文化祭で発表した舞台『故郷』にケルレル参事官役で出演した。これが初めての舞台出演となり、演劇の世界に魅了されていった。 1951年(昭和26年)、色川大吉の新演劇研究所に入団。この時、本名の「豊成」を音読みにして「方正」と書いて現在の芸名にした[7]。 1952年(昭和27年)、中央大学専門部を卒業後、大蔵省を辞めて本格的に役者の道を目指した。1953年(昭和28年)、同劇団公演『真空地帯』に大住軍曹役で出演、この舞台は連日満員になるほどだった。1959年に『二十六人の逃亡者』で映画デビュー。この頃大島渚の独立プロ「創造社」に参加、以降大島作品の常連俳優となり、『太陽の墓場』や『絞死刑』、『儀式』などの作品で活躍。また、日本映画界を代表する名脇役として活躍し、『神々の深き欲望』、『心中天網島』などの映画に出演した。いかつい風貌と低音のドスのきいた声が特徴で、独特の低い声で語られる怪談は人気があった。アクの強い悪役・敵役で活動する一方、その演技力は幅広く、『柳生あばれ旅』第12話ではコミカルな道場主、『気になる天使たち』では人情味のある父親(パン屋の主人)など、多彩な役柄を演じた。バラエティ番組『巨泉・前武ゲバゲバ90分!』のレギュラー出演者としても活躍した。
経歴