日本の政治家小杉 隆こすぎ たかし
内閣広報室より公表された肖像
生年月日 (1935-09-25) 1935年9月25日(88歳)
出生地 日本 東京都目黒区八雲
出身校東京大学教育学部卒業
前職東京放送社員
日本野鳥の会会長
帝京大学教授
現職日本野鳥の会名誉顧問
所属政党(自由民主党→)
(新自由クラブ→)
自由民主党
称号衆議院永年在職議員
教育学士
第123代 文部大臣
内閣第2次橋本内閣
在任期間1996年11月7日 - 1997年9月11日
衆議院議員
選挙区(旧東京3区→)
(東京5区→)
(比例東京ブロック→)
東京5区
当選回数8回
在任期間1980年6月23日 - 2000年6月2日
2003年11月10日 - 2009年7月21日
東京都議会議員
選挙区目黒区選挙区
当選回数4回
在任期間1965年7月23日 - 1980年6月9日
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小杉 隆(こすぎ たかし、1935年9月25日 - )は、日本の政治家。衆議院議員(8期)[1]、文部大臣(第2次橋本内閣)[1]、東京都議会議員(4期)を務めた。 東京都目黒区八雲出身[2]。1959年、東京大学教育学部を卒業し、ラジオ東京(現・TBSホールディングス)に入社。1965年、29歳の最年少で東京都議会議員に当選。1977年、新自由クラブに入党。都議時代には美濃部亮吉都政の追及で名をはせる。その追及ぶりには美濃部も一目置いていたという。 1980年、第36回衆議院議員総選挙で旧東京3区に出馬し初当選(当選同期に古賀誠・太田誠一・川崎二郎・久間章生・平沼赳夫・高村正彦・柿沢弘治など)。新自由クラブでは国会対策委員長を務めた。1986年、新自由クラブの解党により自民党へ移る。1996年、第2次橋本内閣で文部大臣に就任。2000年、第42回衆議院議員総選挙で落選。その後、帝京大学経済学部教授に就任。 2003年、第43回衆議院議員総選挙で比例復活当選。2005年、第44回衆議院議員総選挙で小選挙区で当選。2008年1月16日、第45回衆議院議員総選挙に出馬しない意向を表明。2009年7月21日、衆議院解散に伴い政界を引退した。引退表明の際、「妻の自己破産とは無関係」と説明した[1]。 環境問題に詳しく、地球環境国際議員連盟の創設メンバーだった。また、トライアスロンを完走するアスリートであり、自転車活用推進議員連盟に所属し、2000年の落選中に任意団体の自転車活用推進研究会の委員長となった[3]。 妻の小杉敬子が後援会会員に対して借金をしていた金銭問題が報じられた後、政界を引退した。2010年に妻と私設秘書は詐欺容疑で逮捕[4]・起訴された。妻は2006年に東京地裁に自己破産を申請、負債は約14億円に上っていた[1]。 2012年2月までに「2004年10月から2006年7月にかけて支援者ら3人に対して架空の投資話を持ち掛けて約1億8100万円をだまし取った」として妻に懲役6年の実刑が、約1億1000万円について共犯に問われた私設秘書に懲役4年6カ月の実刑がそれぞれ確定した[5]。
来歴・人物
不祥事