小杉十郎太
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こすぎ じゅうろうた
小杉 十郎太
プロフィール
本名小杉 十郎太
[1][2][3]
性別男性
出身地 日本神奈川県横浜市南区蒔田町[3]
生年月日 (1957-12-19) 1957年12月19日(66歳)
血液型B型[4]
職業声優ナレーター[5]歌手
事務所大沢事務所[6]
配偶者あり
公式サイト ⇒小杉十郎太オフィシャルサイト
公称サイズ(時期不明)[7]
身長 / 体重170 cm / 60 kg

声優活動
活動期間1985年 -
デビュー作ヘンケン・ベッケナー
(『機動戦士Ζガンダム』)[8]
音楽活動
活動期間2006年 -
ジャンルJ-POP
職種歌手
レーベルオンザフィールド
声優テンプレート | プロジェクト | カテゴリ

小杉 十郎太(こすぎ じゅうろうた[9]1957年昭和32年〉12月19日[4][10] - )は、日本男性声優ナレーター[5]歌手神奈川県横浜市南区蒔田町出身[3]大沢事務所所属[6]
経歴

子供の頃は、後ろは山で田舎という感じで山の中で遊んでいたという[3]

子供の頃、父親や親戚が医者であり、「僕も大きくなったら医者になるんだ」と何となく思っていたが、高校生の時に洋画太陽がいっぱい』を見て「声優も面白そうだな」と興味を持ち始める[8]日本大学芸術学部では放送学科アナウンスコースを専攻し[4][11]、確固たる信念があったわけではないが、大学を卒業する頃にテレビラジオアナウンサー試験を受けたものの、すべて不合格となる。卒業後、松竹で4年間サラリーマン生活を送る。当時は『男はつらいよ』シリーズの営業や各種の業務を担当していた。ある時、飲み屋の仲間にCM製作ディレクターがおり、タカラの『NEW人生ゲーム』のCMナレーションの仕事に誘われ、学生時代の経験を生かしてその仕事を受けたことが声優を始めるきっかけとなった[3][12]

そのディレクターが東京俳優生活協同組合のマネージャーであった大沢和男の知り合いで、丁度独立し大沢事務所を立ち上げる時期だったために紹介され所属することとなった。当初ナレーションの仕事を中心に活動していたが、事務所から『機動戦士Ζガンダム』のオーディションを受けるよう言われて合格し、ヘンケン艦長役でデビューする[3][11][12]

1年程度は松竹と大沢事務所両方で仕事をしていた。そのため、会社には「営業に行く」と偽って、ナレーション録りを行っていた。後に大沢に「会社員と声優どちらかの仕事一本にした方がいい」と言われ、松竹を退社する[12]
人物・エピソード

井上和彦とは、同じ横浜市出身であり、小杉が通っていた中学校は、井上が通っていた高校と川を挟んだ向かい側にあったという[13]。井上によると弓道場から中学校のグランドが見えており、その頃は面識がなかったが、中学生が部活をしている姿など、蹴ったボールが川に落ちて、慌てて取りに行っている姿を「あ?、またやってるよ(笑)」という感じで見ていたという[13]。小杉は長い棒を持ってボールを取りに行っていたという[13]

堀内賢雄逗子開成高等学校に転校して来てからの同級生[14]であり、卒業後は1回も会わなかったが、声優になってから偶然に再会し、それ以後は良き飲み友達であると話している[8]。また、イベント「けんじゅうトークライブ」を不定期に開催している。

独特な響きのある声で[4]、大人のキャラクター、卑劣な悪役、ずっこけた三枚目役までこなす[15]

演じる上でのモットーはキャラクターと対峙した時に「自分の引き出しから持ち出せる部分はなんだろう」と考えること[8]

ナレーションとサラリーマンの仕事を両立していたことが上司に発覚したころ、現所属事務所の社長に「お前はサラリーマンをやったほうがいい思う」と言われたが、会社を辞意したことを伝えると「えー!? 俺知らねえからな」と呆れられたという。本人は今でもこの言葉を忘れられないと語っている[11]

仕事はナレーション1本でやっていくつもりだったので、たびたび入ってくるアニメオーディションは断り続けたが、事務所側から「モノは試しということでオーディションくらい受けてくださいよ」と言われ[16]、「どうせ落ちるから」とダメ元で受けて合格してしまったのが、『Ζガンダム』のヘンケン役であった。断ろうとしたが拒否され、仕方なく大先輩のやることを見よう見まねで演技していった結果、他のアニメや吹き替えの仕事が入るようになったと語っている[11]。1週間のうちで収録後に開放感を覚え、収録日が近づくにつれて憂鬱になった[11][16]と語っており、「日曜日の夜(収録は月曜日の午前10時)は胃が痛くて眠れないくらいだった」という[12][16]。『Zガンダム』ではナレーションも兼任し、初回の収録の後、池田秀一からは「これから病気にならない? 今ならまだ変われるから」と言われたが、後に池田は自著にて「ひどいことを言った」と懐古しつつも、「『ガンダム』の作品の魅力を、跡を継いだ者たちが受け取るには、それ相応の覚悟が必要」として、「小杉くんもそれらを重々理解し、ガンダムに関わった全ての人の期待に答えようと努力してくれました」と語っている[17]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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