小日向文世
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こひなた ふみよ
小日向 文世
2018年
生年月日 (1954-01-23) 1954年1月23日(70歳)
出身地 日本北海道[1]三笠市[2][3]
身長164 cm[4][注 1]
血液型O型[4]
職業俳優
ジャンル舞台映画テレビドラマ
活動期間1977年 -
配偶者既婚(1993年 - )
著名な家族小日向星一(長男)[6]
小日向春平(次男)[7]
所属劇団オンシアター自由劇場(1977年 - 1996年
事務所ファザーズコーポレーション
公式サイト ⇒公式プロフィール
主な作品
舞台
上海バンスキング
オケピ!
ミザリー
12人の優しい日本人
海をゆく者
『国民の映画』
オーランドー』映画
HERO』シリーズ
ザ・マジックアワー
アウトレイジ』シリーズ
ステキな金縛り
清洲会議
サバイバルファミリー
祈りの幕が下りる時
マスカレード』シリーズ
コンフィデンスマンJP』シリーズ
アルキメデスの大戦』テレビドラマ
HERO』シリーズ
救命病棟24時
僕の生きる道
JIN-仁-
緊急取調室』シリーズ
真田丸
コンフィデンスマンJP
危険なビーナス』ナレーション
ぶらり途中下車の旅

 受賞
読売演劇大賞
最優秀男優賞
2012年度 第19回『国民の映画』キネマ旬報ベスト・テン
助演男優賞
2013年『アウトレイジ ビヨンド』他

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小日向 文世(こひなた ふみよ、1954年昭和29年〉1月23日[1] - )は、日本俳優[8]

北海道[1]三笠市[2][3]出身。東京写真専門学校(現:専門学校東京ビジュアルアーツ)卒業[9][10]ファザーズコーポレーション所属[1]
来歴

三笠市立三笠中学校[2][11]北海道三笠高校卒業後[3][8]グラフィックデザイナーを目指して御茶ノ水[12]にあるデザインの専門学校に通っていた18歳の時、スキーで複雑骨折をしてしまい、骨盤や大腿部の筋を移植するなど2年間で8回の手術をして1年を棒に振る怪我を負う[13]。そんな自分があまりにもかわいそうになり、これだけ痛い思いをしたのだから後は好きなことをやろうとより熱心に写真の専門学校に通い始める[13]。しかしその過程で役者業に興味を持つようになり、専門学校卒業後、22歳で俳優を目指すことを決意[13]。初めは文学座に挑戦するがオーディションに落ちて失敗[9][12]。しかしアルバイト先の先輩から、当時松田優作と並んで文学座で人気だった中村雅俊のコンサートスタッフ募集の話を聞いて手伝いを始め[12]、いつのまにか中村の付き人を務めるようになる[9]。しかしその後も俳優への意欲は衰えることなく、中村にもきちんとした劇団へ入ることを勧められ、1977年串田和美が主宰する「オンシアター自由劇場」の試験を受け、入団する[14]1996年の解散まで19年間在籍し[9]、劇団の看板女優吉田日出子の相手役を務めた[10]

39歳で同じ劇団の女優だった11歳年下の女性と結婚し[9][13]、長男をもうける[9]も翌年劇団が解散[13][15]。その後は映画・テレビドラマなど映像分野での活躍を切望するも端役が多く、5年間で連続ドラマの出演作は1本のみ[15]。事務所に給料の前借りをしてなんとか食いつなぐ借金生活に陥る[15][16]

1998年、平山秀幸監督の映画『愛を乞うひと』において、主人公と密接にかかわる大役を得て存在感を見せた。ドラマでは『世にも奇妙な物語』シリーズで次第に役が付くようになり、以降は、映画、テレビで神経質でヒステリックなインテリ役にキャスティングされることが多くなる。2000年代に入ると役の幅が広がり、映画『非・バランス』で難役を演じ、高い演技力を見せつけた。

2001年三谷幸喜演出の舞台『オケピ!』にとぼけたピアニスト役で出ている小日向を見たフジテレビのプロデューサーによって木村拓哉主演のフジテレビ月9ドラマHERO』にメインキャストの1人として起用され[15][17]レギュラー出演したところ、ドラマが全話視聴率30%超えを記録する大ヒットとなり、それを機に仕事が途切れなく入るようになり食べていけるようになる[15][18]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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