小平忠正
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日本政治家小平 忠正こだいら ただまさ

生年月日 (1942-03-18) 1942年3月18日(82歳)
出生地 日本 北海道空知郡岩見沢町
出身校慶應義塾大学法学部政治学科卒業
ジョージタウン大学国際関係学部大学院修了[1]
前職東洋棉花従業員
牧場経営者
所属政党(民社党→)
新進党→)
新党さきがけ→)
旧民主党→)
民主党民社協会
称号法学士(慶應義塾大学・1964年
旭日大綬章
親族小平忠
第86代 国家公安委員会委員長
内閣府特命担当大臣(消費者・食品安全)
内閣野田第3次改造内閣
在任期間2012年10月1日 - 2012年12月26日
衆議院議員
選挙区(旧北海道4区→)
北海道10区
当選回数7回
在任期間1990年2月18日 - 2012年11月16日
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2012年、国家公安委員長として入閣した際の小平

小平 忠正(こだいら ただまさ、1942年3月18日 - )は、日本政治家

衆議院議員(7期)、農林水産政務次官衆議院逓信委員長、衆議院農林水産委員長、衆議院外務委員長、衆議院議院運営委員長(第72代)、東京電力福島原子力発電所事故に係る両議院の議院運営委員会の合同協議会会長(初代)、国家公安委員会委員長(第86代)、内閣府特命担当大臣(消費者及び食品安全担当)などを歴任。2015年旭日大綬章受章[2]
来歴
生い立ち

北海道空知郡岩見沢町(のちの北海道岩見沢市)にて生まれた。岩見沢市立幌向小学校、札幌市立柏中学校北海道札幌南高等学校を経て、慶應義塾大学法学部政治学科を卒業した[3]慶應義塾大学卒業後、ワシントンD.C.ジョージタウン大学大学院への留学を経て、1969年総合商社である東洋棉花(のちのトーメン、現在の豊田通商)に入社した。1972年に退社し、その後は故郷である北海道に戻り、空知郡栗沢町牧場を経営する。
政界入り

民社党北海道総務局役員を経て、1990年第39回衆議院議員総選挙に、旧北海道4区から父・小平忠の後継者として民社党公認で出馬し、初当選。以後連続7回当選。1993年第40回衆議院議員総選挙で再選し直後の首班指名細川護熙支持で政治改革政権与党の一員となる(同じ選挙区の鳩山由紀夫内閣官房副長官就任)。

1994年6月自社さ連立政権発足し鳩山は与党幹事長で自身は野党の一員となり、民社党解党に伴い、野党第1党である新進党の結党や民社協会結成に参加。新進党北海道連副会長として第13回統一地方選挙第17回参議院議員通常選挙で新進党の党勢拡大に尽力していたが、1995年9月に創価学会からの後援会への介入に反発し離党した。その後、中選挙区時代は対立候補で小選挙区移行で戦うことは無くなった鳩山に誘われ、鳩山が代表幹事たる与党の新党さきがけに入党した。1996年内閣総理大臣指名選挙自由民主党総裁橋本龍太郎を支持し、第1次橋本内閣農林水産政務次官に任命された。野間赳とともに同職を務め、第2次橋本内閣の発足にともない、退任した。
民主党

1996年、旧民主党の結党に参加した。同年の第41回衆議院議員総選挙では、北海道10区にて立候補した。この選挙において、自民党の前職である渡辺省一小選挙区で完勝した。また、北海道における民主党の基盤づくりに尽力し、自身の支持基盤である農民組織と労働組合と民主党という3軸体制を作り上げた。その際、北海道総支部連合会の初代代表に就任した。その後、衆議院逓信委員長、農林水産委員長などを歴任した。また、党内のグループでは、主に鳩山グループに属しつつ、民社協会にも所属した。

2000年第42回衆議院議員総選挙では、当時自民党総務局長だった鈴木宗男の強い後押しで渡辺省一の長男である渡辺孝一に公認争いで勝った元農水省課長の山下貴史を、大差で破り比例復活も許さなかった。

2003年第43回衆議院議員総選挙では、再び山下を大差で破ったが、比例復活を許した。

2005年第44回衆議院議員総選挙では、郵政民営化に反対し無所属で再選を目指す山下、自民党の飯島夕雁の猛追を受けるが、飯島を破り小選挙区で6選。同年、民主党代表前原誠司の下で党代議士会の会長に就任し、前原の後任の代表である小沢一郎の下でも留任した。

2009年第45回衆議院議員総選挙では、飯島を大差で破り、7選。その後、民主党の中央選挙管理委員会にて委員長に就任し、2010年の2度の民主党代表選挙を取り仕切った。


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