小川隆夫
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小川 隆夫(おがわ たかお、1950年8月7日 - )は、日本の文筆家、音楽ジャーナリスト、音楽プロデューサー、作曲家、ギタリスト、整形外科医[1]。さまざまな音楽分野、特にジャズでの活動で知られ、ブルーノートのコンプリート ・ コレクターとしても著名[2]

幼い頃からクラシックギターを習い、中学でバンド結成。その後、ロックやジャズのバンドでギターを演奏しながら、医学部に進学した。

これまで3,000 枚以上のレコード、CDのライナーノートを書き、数多くのCDをプロデュースした[3]。また 1,000 人以上のミュージシャンや関係者にインタビューし、その中にはマイルス・デイヴィス(1985年 - 1990年)[4][5]アート・ブレイキー(1982年 - 1991年)[6]ソニー・ロリンズ(1986年 - 2001年)[7]オスカー・ピーターソン(1987年)[8]デクスター・ゴードン(1982年 - 1984年)[9]ハービー・ハンコック(1985年 - 2019年)[9]キース・ジャレット(2001年)[10]チャーリー・ワッツ(1989年、1990年)[11]秋吉敏子(1984年 - 2016年)[12]渡辺貞夫(1985年 - 2021年)[13]日野皓正(1983年 - 2021年)[10]アルフレッド・ライオン(1985年、1986年)[14]、ボブ ・ワインストック(1999年)[15]オリン・キープニュース(2000年)[16]クリード・テイラー(2009年)[17]などが含まれる。

1985年にマイルス・デイヴィスの知遇を得、彼について7冊の本を発表している[18]

これまでジャズに関する多くの記事や書籍を執筆し、2016年にはマイルス・デイヴィスの音楽を継承したエレクトリック・フリー・ジャズ・ロック・バンド、セリム・スライヴ・エレメンツを結成[19]

1991年以降、フラットアウト・プロダクションズ[20]でケニー ・ ワーナー [21]デニス・チェンバース[22]、マーク・コープランド、[23]アダム・ホルツマン[24]カーティス・フラーなどのアルバムをプロデュースした[25]

2023年時点では東京のセントラルクリニック整形外科部長を務める[26]
来歴

東京生まれ。小学3年からクラシックギターを習い、中学生の時アルバム『ゲッツ/ジルベルト』で聴いたジョアン・ジルベルトのギター・スタイルに感銘を受け、ボサノヴァに興味を持つ。その頃、中学の同級生たちとザ・ベンチャーズ・スタイルのバンドを結成。高校時代はフォークソングを演奏し、ラジオ番組やコンサートに出演。東京のディスコにはリズム&ブルース・バンドを結成して出演[27][28]

1970年、東京医科大学に入学。ロックやリズム&ブルースのバンド活動と並行してジャズ・バンドでも演奏。1971年に「アン・ミュージック・スクール」でジャズ・ギターと音楽理論を学ぶ。同校の生徒とジャズ・バンドを結成し、都内周辺のジャズ喫茶やホテルのラウンジなどで演奏。その後、学業が忙しくなり、バンド活動を全て断念[29][30]

1977年、医学部を卒業して、そのまま大学病院の医局に入る。1981?1983年、ニューヨーク大学院生としてニューヨークに在住し、[31][32]ソーシャル・リハビリテーション[33][34]を学ぶ。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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