この項目では、声優について説明しています。映画プロデューサーについては「小川真司 (プロデューサー)」を、ロックミュージシャンについては「Brian the Sun#小川真司」をご覧ください。
「小川新二」とは別人です。
おがわ しんじ
小川 真司
プロフィール
本名小川 治彦
(おがわ はるひこ)[1][2]
性別男性
出身地 日本・東京府東京市
死没地 日本・東京都[2]
生年月日 (1941-02-19) 1941年2月19日
没年月日 (2015-03-07) 2015年3月7日(74歳没)
血液型O型[3]
身長165 cm[4]
職業声優、俳優、ナレーター
事務所ヘリンボーン(最終所属)[4]
配偶者原陽子
著名な家族小川ゲン(息子)
公式サイト ⇒公式プロフィール
声優活動
活動期間1970年代 - 2015年
ジャンルアニメ、ゲーム、吹き替え、ナレーション
俳優活動
活動期間1960年代 - 2015年
ジャンルテレビドラマ、映画、舞台
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小川 真司(おがわ しんじ、1941年[5]2月19日[4] - 2015年3月7日[6])は、日本の声優、俳優、ナレーター。死去時点での最終所属先はヘリンボーンであった[4]。
東京府東京市出身。 芸歴:俳優座俳優養成所[4]、劇団俳優小劇場[4]、無名塾[4]、A&E事務所[7]。青二プロダクション[8][9]、紅屋25時[10]、大沢事務所[11]、ヘリンボーン(最終所属)。 大手企業の社長の息子として生まれ、後に等々力に移住した[12]。 少年時代は可愛らしい顔だったためカメラマンにスカウトされ、小学1年から3年まで『太陽少年』という少年誌の表紙モデルをやっていた。また、小学生から中学生になるまでクラシック・バレエを習っていた[12]。 その後、作曲家を目指すが才能がないと思い断念し、普通の仕事に就くつもりだったが、東京教育大学附属高等学校(現・筑波大学附属高等学校)[13]を卒業する頃、友人(河内桃子の妹)から俳優座養成所の卒業公演に招待され、観に行ったところ、華やかで楽しそうだと感じ、父親に反対されながらも「援助はいらない」と説得して、大学進学よりも劇団入団を目指すようになる。そして俳優座に合格して、養成所に入所する。当時は映画全盛期の時代で、映画俳優がテレビに出たがらなかったため、養成所の新人を探していたテレビ局関係者から抜擢(ばってき)され、石坂洋次郎原作の青春ドラマ『寒い朝』で十朱幸代の相手役としてデビューした[12]。 養成所卒業後は文学座入団を志望したが、その年に文学座が劇団員を採用していなかったため、小沢昭一が結成した俳優小劇場に入団する。その劇団には大塚周夫や小山田宗徳など、吹き替えでも活躍する俳優が在籍しており、小川も吹き替えの仕事に呼ばれたが、ほとんどが少年役で、地声が低くダメ出しされることが多かったため、暫く吹き替えの仕事は断っていたという。30歳を過ぎてから大人役が増え、『華麗なる世界』の吹き替えを1年間全うすることができ、以降は声の仕事でも積極的に活動するようになった[12]。 映画、テレビ出演は脇役が中心だが、飄々とした持ち味を岡本喜八監督に買われ、劇場映画4本、テレビ映画1本で起用されている。中では、テレビ『幽霊列車』での、内田朝雄、天本英世、殿山泰司、山本麟一らベテラン俳優たちとアンサンブル芝居を繰り広げる村会議長役が代表的である。 2014年秋頃から体調を崩し、喉の違和感を訴えて入退院を繰り返しながら、レギュラー出演していた『クリミナル・マインド FBI行動分析課』の吹き替え収録などの役者活動を継続していたが、2015年2月に入った直後、体調不良により全ての持ち役を降板、同年3月7日、器質化肺炎のため死去[6][14][15]。74歳没。葬儀は近親者のみで執り行われた。 妻は無名塾の後輩で女優、ビーズジュエリー・アーティストの原陽子。俳優の小川ゲンは息子[14]。 端正な声を持ち、上司タイプの役柄が多かった[9]。多数の洋画作品で吹き替えを担当しており、俳優ではマイケル・ダグラス[2]をはじめ、ティモシー・ダルトン[12]やロバート・デ・ニーロ[2]、ダスティン・ホフマン[16]、サム・ニール、マイケル・ケイン、ランス・ヘンリクセン、デヴィッド・ストラザーンなどの吹き替えを多く担当していた。映画『バットマン ビギンズ』ではソフト・地上波放送合わせて3パターンある吹き替え版に全て出演している。またドラマ版を含めるとバットマン、アルフレッド、ヴィラン(敵役)を一通り演じ切った声優となる。
生涯
人物