この項目では、長野県にある村について説明しています。その他の用法については「小川村 (曖昧さ回避)」をご覧ください。
おがわむら
小川村旗小川村章
国 日本
地方中部地方(甲信越地方)
都道府県長野県
郡上水内郡
市町村コード20588-5
法人番号7000020205885
面積58.11km2
総人口2,085人 [編集]
(推計人口、2024年4月1日)
人口密度35.9人/km2
隣接自治体長野市、大町市、北安曇郡白馬村
小川村役場
村長[編集]染野隆嗣
所在地〒381-3302
長野県上水内郡小川村大字高府8800-8
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯36度37分02秒 東経137度58分29秒 / 北緯36.6172度 東経137.9747度 / 36.6172; 137.9747座標: 北緯36度37分02秒 東経137度58分29秒 / 北緯36.6172度 東経137.9747度 / 36.6172; 137.9747
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小川村(おがわむら)は、長野県にある村である。長野市と北安曇郡白馬村のほぼ中間に位置し、その景観は「ふるさと信州風景100選[1]」・「信州サンセットポイント百選」に選ばれている。
「日本で最も美しい村連合」の一つ。 長野県上水内郡小川村は長野県北部(北信)にあり、長野市中心部と大町市・白馬村を結ぶ長野県道31号長野大町線(通称オリンピック道路)のおよそ中間に位置する(小川村役場地点)。北側にある虫倉山脈と南側の筏(イカダ)山脈がそれぞれ東西に走り、その間を犀川の支流である土尻川
地理
2005年(平成17年)、平成の大合併により近隣の旧鬼無里村、旧戸隠村が長野市へ、旧美麻村が大町市に併合され、2010年(平成22年)には旧信州新町、旧中条村が長野市に併合され、現在の隣接自治体は長野市、大町市、白馬村となっている。
村北部・標高約1,000mの大洞高原には、60cm反射望遠鏡をもつ小川天文台と「プラネタリウム館」などの施設がある。
山:蕎麦粒山、高戸谷山、飯縄山(長野市の飯縄山と同名だが別の山)
河川:土尻川
湖沼:
歴史
戸隠三院を支配していた顕光寺(戸隠神社)が鳥羽院に寄進し、小川の庄と言われる皇室の荘園となっていたことが知られている。
南北朝時代の末期(1392年)に三河国を追放された水野氏庶流の小川左衛門貞綱が最勝寺領となっていた小川庄に定着した。貞綱は布留山城(古山城)を築城し、三代にわたって周辺を領した。しかし北信濃で有力だった村上氏に背いたため、村上氏の命を受けた香坂氏・大日方氏に攻めこまれて落城し三河に逃れた。
古山城は大日方長政の居城となり、以後、現在の小川村の地は大日方氏の支配下に置かれることとなった。
戦国時代初期の大日方氏は安曇郡の仁科氏に従っていたが、武田信玄の侵攻により武田氏家臣へと転じ水内郡から安曇郡を勢力下にして軍役110騎をつとめたとされる。武田氏の滅亡後は上杉氏派の小笠原洞雪斎方と徳川氏配下の小笠原貞慶方に分派した。しかし上杉景勝が豊臣秀吉の命で会津に移封になると上杉氏派の大日方氏一族は上杉氏に随行することなくそのまま帰農土着したと伝えられ、後にはその一部に松代藩真田家に仕えた家もある。
2014年 (平成26年) 11月 - 長野県神城断層地震が発生。