小川宏ショー
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小川宏ショー
ジャンル
ワイドショー情報番組
司会者小川宏
木元教子
露木茂
芳村真理
田代美代子
山川建夫
藤田弓子
浜美枝
松倉悦郎
三上彩子
芦川よしみ
新井春美
頼近美津子
陣内誠
出演者出演者を参照
国・地域 日本
言語日本語
製作
制作フジテレビジョン

放送
放送チャンネルフジテレビ系列
音声形式モノラル放送
放送国・地域 日本
放送期間1965年5月1日 - 1982年3月31日
放送時間平日 9:00 - 10:30
→8:30 - 9:55
放送枠フジテレビ系列平日午前のワイドショー枠
放送分90分→85分
回数4451回

番組年表
次作おはよう!ナイスディ
特記事項:
開始から1966年11月までは土曜日でも放送されていた。
1967年3月1日[1]1969年12月31日放送分[2]及び1970年4月1日放送分以降からカラー放送。[3]
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『小川宏ショー』(おがわひろしショー)は、1965年5月1日から1982年3月31日までの17年間にわたりフジテレビ系列生放送された平日ワイドショー情報番組で、小川宏冠番組である。全4451回。
概要

番組開始から1966年11月までは、毎週月 - 土曜日の放送で、その後番組終了までは、毎週月 - 金曜日の放送となる。

この企画は、NET(現:テレビ朝日)が『モーニングショー』(当時は木島則夫が司会)を1964年4月1日に始めたことに刺激を受け、当時のフジテレビ制作部の部内で検討を重ね、企画をまとめたもの[4]。企画段階でのコーナーは全国5局からの中継や、「子どもの広場」を入れていたものの、問題は総合司会で、フジテレビ内部には人材がいなかった[4]。そこで、元NHKアナウンサーで当時の営業部長が挙げた4人のNHKのアナウンサーの内の1人が小川宏だった[4]

その小川とフジテレビ側との話し合いが1965年1月に行われ、担当者が「フジの看板となるようなニュースショーをやりたいが、何とか協力してくれないか」というと小川が、「私も是非やりたいが、相談する人がいるので若干の時間を」とこの時点でまとまらなかったのだが、3回目の話し合いで、契約金についてフジテレビ側から引き出すと、小川は「それで結構です。ただし、契約は1年ごとということですが、最初は2年にしてください」と発言した[4]。こうして小川をNHKからフジテレビに局契約嘱託職)として移籍させたうえで起用、1965年5月3日に主婦向けワイドショー番組として放送開始。

当初は主だったコーナーはなく、ニュースや電話による相談コーナー、それに、「子どもの広場」のコーナーで、構成されていたが、番組開始から2年間、視聴率は劣勢が続いていた[4]。そこで、企画検討の結果、「個性ある番組作り」を行うため、「曜日ごとのテーマ」の企画に方針を一新した[4]。その中で、スタート2年目の秋よりスタートした「初恋談義」が話題となり、以後、「ご存知ですかこの人を」、「金曜編集室」、「私のふるさと」、「いたずら談義」等のトークコーナーを中心としたサロントーク型ワイドショーとして人気を博す一方、アシスタント役の露木茂が話題の事件・事象を独自に徹底取材する「露木レポート」や生放送の利点を生かした現場中継の多用によりニュースショーとしても高い定評を獲得し、朝の人気番組へと躍進したばかりでなく、モーニングショーに次いでネット局の多い番組となった。

ちなみに当番組は、開始当初は白黒放送であったが、1967年3月1日に、フジテレビの開局8周年記念として特別にカラーで生放送。これが、同局制作に於いて初のカラー生放送となった。この日は、1967年のパリのニューモードのファッションショーや、「子どもの広場」のコーナーでは、絵による子供の性格や知能テストの紹介等が放送された[1]。その後、1969年12月31日(大晦日)放送の「初恋談義特集」がカラーで放送され[2]1970年4月1日からは毎回カラー放送となった。[3]
番組の終焉とその後

1982年1月26日、フジテレビは3月で番組の終了が発表[5]

1982年3月、フジテレビの朝の時間帯の編成見直しに伴い『ママとあそぼう!ピンポンパン』と共に終了。17年の放送に幕を降ろした。最終回ではスタジオに歴代アシスタントや、第1回目ゲストの坂本九をはじめとする各界の著名人や小川とゆかりのある人物が集合した。そしてラストは、半年前に最終回を迎えた『スター千一夜』でも別れを述べた森繁久彌が登場して別れを述べ、最後は坂本九が『さよなら さよなら』を歌って締めくくった。後番組は『おはよう!ナイスデイ』である。

放送期間17年、全放送回数4451回に及ぶ記録は、同じフジテレビの『森田一義アワー 笑っていいとも!』に破られるまで、個人名を冠したテレビ番組としては世界最長で、後継番組の『情報プレゼンター とくダネ!』(1999年4月1日?2021年3月26日)が2016年7月28日放送分で破るまでは「同一司会者による全国ネット番組としての最多放送回数」も記録していた[4]
土曜日版の打ち切り、関西テレビ制作へ移行

1966年12月から土曜日の放送を打ち切って同枠は関西テレビの制作枠に移行して『ハイ!土曜日です』をスタートさせた。なお、金曜日の放送では番組の最後に小川が「明日は関西テレビからお送りします」と告げていた。その関係で、『ハイ!土曜日です』のサブ司会兼リポーターを桑原征平[6](担当時点では同局アナウンサー)が務めていた時期には、桑原が当番組にも出演することがあった。なお、『ハイ!土曜日です』も本番組と同時に終了しており、本番組最終回4日前の1982年3月27日に最終回を迎え、15年4か月の放送に幕を降ろした。詳細は「関西テレビ制作土曜朝のワイドショー」を参照
番組タイトル
タイトル

1965年5月1日 - 1980年3月28日 奥さまスタジオ 小川宏ショー

1980年3月31日 - 1982年3月31日 フレッシュワイド8:30 小川宏ショー

テーマ

1965年5月1日 - 1980年3月28日、1982年3月30日 - 31日 奥様スタジオ・小川宏ショー(作曲:
平岡精二

1980年3月31日 - 1982年3月29日 小川宏ショーのテーマ "smiling people" (歌:ハイ・ファイ・セット

ハイ・ファイ・セットのアルバム『3 NOTES』には、「うぬぼれスマイル」として収録されているが、こちらはアレンジや音程がやや低くなっている。


放送時間

すべてJST

1965年5月1日 - 1980年3月28日 9:00 - 10:30

1965年5月から1966年11月までは月曜から土曜までの放送、1966年12月以降は月曜から金曜までの放送。


1980年3月31日 - 1982年3月31日 8:30 - 9:55

出演者
メイン司会・パートナー司会


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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