小島洋々
[Wikipedia|▼Menu]

こじま ようよう
小島 洋々
1925年の写真、満34歳。
本名小島 正次(こじま まさじ)
生年月日 (1891-12-16) 1891年12月16日
没年月日不詳年
出生地 日本 東京府東京市下谷区御徒町(現在の東京都台東区東上野
身長169.7cm
職業元俳優、元男性声優、元オペラ歌手
ジャンル歌劇新派劇映画現代劇時代劇サイレント映画トーキー)、テレビドラマ
活動期間1912年 - 1962年
配偶者有(死別)
著名な家族小島くるみ(実娘)
主な作品
『森訓導鉄路の露』
『大自然の叫び』
何が彼女をさうさせたか

 受賞
「映画の日」永年勤続功労章(1962年)

テンプレートを表示

小島 洋々(こじま ようよう、1891年12月16日 - 没年不詳)は、日本の元俳優、元男性声優、元オペラ歌手である[1][2][3][4][5][6][7][8][9][10][11]。本名は小島 正次(こじま まさじ)[1][2][3][4][5][6][7][8][9][10][11]浅草オペラ新派を経て映画俳優に転向、戦前・戦中の新興キネマ東宝映画東京撮影所、戦後の新東宝東映東京撮影所で長く活躍したバイプレーヤーとして知られ、映画出演数は200本を超える[2][3][6]
来歴・人物

1891年(明治24年)12月16日東京府東京市下谷区御徒町(現在の東京都台東区)に生まれる[1][2][3][5][6][7][8][9][10][11]。『日本歌劇俳優写真名鑑』(歌舞雑誌社)では、出生地は上記の通りだが、生年は「明治廿一年十二月十六日」(1888年12月16日)である旨が記されている[4]。旧制埼玉県浦和中学校(現在の埼玉県立浦和高等学校)を経て旧制東京音楽学校(1952年廃止)に進学する[1][2][3][6][7][9][10][11]。その影響もあって、この頃から旅芸人として各地を巡業していたといわれている[6]

1912年(明治45年)2月、旧制中学校卒業と共に帝国劇場洋劇部(歌劇部)第1期生として入部し、日本のオペラ界に影響を与えたイタリアの演出家ジョヴァンニ・ヴィットーリオ・ローシーにオペラを師事する[1][2][3][4][5][6][7][9][10][11]。同期には石井林郎、柏木敏、南部邦彦、山川浦路、河合磯代、澤美千代中山歌子、夢野千草、石神たかね、原せい子井上起久子などがいた[1][2][3][4][5][6][7][12]。1914年(大正3年)に卒業後、2ヶ月間は帝国劇場の専属俳優となり、南部邦彦、7代目松本幸四郎三浦環らと共演[1][4][5][6][7][9][10][11]。1916年(大正5年)9月、舞台協会および新派俳優山本嘉一と一座を組織、信州東海地区関西地区を巡業する[1][2][3][9][10][11]


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:61 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef