小島功
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小島 功
(こじま こお)
本名小島 功(こじま いさお)
[1]
生誕 (1928-03-03) 1928年3月3日[1][2]
東京府東京市下谷区根岸
(現:東京都台東区根岸)[2]
死没 (2015-04-14) 2015年4月14日(87歳没)[1][3][4][5]
東京都港区[5]
国籍 日本
職業漫画家イラストレーター
称号#受賞歴参照
活動期間1949年[6] - 2014年[3]
ジャンルナンセンス漫画
代表作『仙人部落
ヒゲとボイン
受賞#受賞歴参照
公式サイト ⇒小島 功 オフィシャルサイト
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小島 功(こじま こお[1]1928年3月3日[1][2] - 2015年4月14日[5])は、日本漫画家イラストレーター。本名?小島 功(こじま いさお)[1][5]

「漫画界一の流麗な線描[7]」と評された画風を特徴とし、エロティックな女性が登場するマンガやイラストを数多く発表した。日本漫画家協会の設立に尽力し、常務理事、社団法人時代の理事長(第4代)、会長、公益社団法人時代の名誉会長を歴任した[2]
経歴
生い立ち

東京府東京市下谷区(現在の東京都台東区根岸[2]で、9人きょうだいの長男として生まれる[8]。生家は軍服や航空機のカバーの下請け生産工場を営んでいた[8]。家業の拡大のため、一家は小島が10歳のときに荒川区尾久へ移り[8]、小島は荒川区立尾久西小学校[2]へ転校した。担任教師が画家の大河内幸俊であった影響で絵に興味を持つ[2]。また、胸膜炎のために自宅療養中、田河水泡のらくろ』、島田啓三冒険ダン吉』、中村書店の単行本シリーズにおける謝花凡太郎作品などの児童漫画[6]や、横山隆一近藤日出造杉浦幸雄などの大人向けナンセンス漫画[8]に親しむ。

やがて自身でも漫画を描くことを楽しむようになり[7]、漫画家になりたいと大河内に相談したところ、「黙って五年間、石膏デッサンをやりなさい[8][6]」と川端画学校を紹介され、1943年[7]に入学。高等小学校卒での入学で、最年少の生徒だった[8]。同校では加藤芳郎と同級であった[7][8]。同時に、須山計一監修の通信講座「漫画家養成講義録」を受講し、月報の投稿欄の採用常連となって自信をつけた[6]。また、母親が「一人前の画家になるには(略)教養をつける必要があろう」と、早稲田大学仏文科の学生(のち同校教授)の石井美久(石井直方の父)を家庭教師につけ、小島は石井から美術史や文学を学んだ[6][9]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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