小山
? 町丁・大字 ?
小山小山の位置
座標: 北緯35度35分7.33秒 東経139度21分23.38秒? / ?北緯35.5853694度 東経139.3564944度? / 35.5853694; 139.3564944
国 日本
都道府県 神奈川県
市町村 相模原市
区中央区
地域小山地区(大字・1丁目)
清新地区(2?4丁目)
人口 (2018年(平成30年)1月1日現在)[1]
- 計4,078人
等時帯日本標準時 (UTC+9)
郵便番号252-0205[2]
市外局番042 (相模原MA)[3]
ナンバープレート相模
小山(おやま)は、神奈川県相模原市の大字および住居表示による同市中央区の町名である。また、中央区内の地域名としても用いられる。
本項では、まず元の大字小山であった区域全体について述べ、のち住居表示による小山一丁目?四丁目について述べる。
目次
1 大字小山
1.1 地理
1.2 歴史
1.3 小山地区
2 小山
2.1 地価
3 世帯数と人口
4 小・中学校の学区
4.1 施設
5 脚注
6 参考文献
元の大字小山は相模原市の北東部(中央区の北部)、現在のJR東日本横浜線の橋本駅から相模原駅付近にかけて、都県境の境川と横浜線(一部は国道16号)との間に広がる区域を占めていた。旧大字では西の橋本、南の清兵衛新田、東の矢部新田および上矢部に隣接し、北は境川をはさんで東京都町田市の小山町に相対する。 北は境川が多摩丘陵と相模原台地の間を刻む細長い谷底の低地が占める。かつて境川はこの谷底を激しく蛇行し付近は洪水に悩まされていたが、河川改修により流路の直線化と拡幅が行われた。しかし都県境(元の相模国と武蔵国の国界)は蛇行していた元の流路をもとに定められているため、直線化された流路をはさんで相模原市(神奈川県)と町田市(東京都)が相互に川向うの飛び地を持つに至っている。 境川の谷底の低地との間の比高約10?20mの段丘崖をはさんで、南の広い区域は相模原台地の平坦面によって占められる。古くからの集落は主にこの段丘崖周辺に分布する。これらの旧集落のほぼ中央に位置する天縛皇神社を境に西側(上流側)の集落を「ミヤカミ(宮上)」、東側(下流側)の集落を「ミヤシモ(宮下)」と呼んだ。また境川をはさんで北側に位置する武蔵国(町田市)側の小山(町)を「ヒナタオヤマ(日向小山)」と呼ぶのに対して、川の南に位置し段丘の北斜面となるこちら側を「ヒカゲオヤマ(日陰小山)」と呼んだ[4]。 南の広大な相模原台地上は主に桑畑が広がっていたが、1938年(昭和13年)、陸軍の相模兵器製造所(のち相模陸軍造兵廠)が建設され、周辺も大規模な区画整理が実施された。敗戦後も同施設を在日米軍が接収して相模総合補給廠、特に朝鮮戦争期に軍用機械や車両の修理に当たったことから、付近には関連工場が進出した。以降も相模原市は積極的に工場の誘致を進め、宮下工業団地は市内を代表する工業団地の一つとなっている。橋本駅、相模原駅周辺も東京・横浜のベッドタウンとして市街地化が進んでいった。 一方、橋本駅、相模原駅のいずれからも遠い境川沿いの低地は、依然として農地主体だったが、1990年代以降、京王相模原線多摩境駅の駅勢圏に入ったことで宅地化が進み農地は急速に失われていった。宅地開発に際しては区画整理が実施された相模原台地上とは対照的に従来の農地の区画に沿って個別に進められたため、狭く複雑な街路網が形成されている。
大字小山
地理
歴史
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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