小山ゆう
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小林ゆう」とは別人です。

小山 ゆう
本名大秩B由次
おおたけ よしじ[1]
生誕 (1948-02-20) 1948年2月20日(76歳)
日本静岡県小笠郡菊川町(現・菊川市
職業漫画家
活動期間1973年 -
ジャンル少年漫画青年漫画
代表作『おれは直角
がんばれ元気
お?い!竜馬』(原作:武田鉄矢
あずみ
受賞第22回:小学館漫画賞少年少女部門(『がんばれ元気』)
第43回:小学館漫画賞青年一般部門(『あずみ』)
第1回:文化庁メディア芸術祭マンガ部門優秀賞(『あずみ』)
公式サイト ⇒小山ゆう 公式ホームページ
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小山 ゆう(こやま ゆう、本名:大秩B由次(おおたけ よしじ)[1]、男性[1]1948年2月20日[1] - )は、日本漫画家静岡県小笠郡菊川町(現・菊川市)出身。
人物

代表作は『がんばれ元気』『お?い!竜馬』『あずみ』など。『がんばれ元気』『おれは直角』『お?い!竜馬』はテレビアニメ化され、『あずみ』は上戸彩主演で映画化された。

ペンネームの「小山ゆう」は、恩人である小池一夫の「小」、友人の山本又一朗の「山」、そして自身の本名である由次(よしじ)の「ゆう」を組み合わせたものである[2]
略歴

静岡県小笠郡菊川町(現・菊川市)で専業農家の長男として出生。静岡県立島田商業高等学校卒業後、作曲家を目指して上京した[3]。上京まで漫画はほとんど読まず、興味も薄かったという[4]

上京後、新聞広告で見て入ったアニメ制作会社のテレビ動画株式会社でアニメーターのアルバイトを1年ほどする。休憩時間中にさいとう・たかをの『無用ノ牙』の模写をしていたのがきっかけで[5]1968年にさいとう主宰の「さいとう・プロダクション」を紹介され[6][7]アシスタントとして漫画の世界へ入り、漫画家を目指す決意をする[1]。3年半後、さいとうプロの友人だった山本又一朗やまさき拓味と3人でオリオンプロを設立し、キャラクター商品のデザインや挿絵やカットの仕事を請け負うも1年半で廃業。1971年、漫画の仕事をするため、先にさいとうプロを独立していた小池一夫のスタジオシップ(現・小池書院)へ3人で移籍した[8]

1973年、『週刊少年サンデー』に掲載の『おれは直角』でデビュー[1]。ペーソス溢れる作中のギャグ調の描写で人気作となる[9]。同作連載終了後の1976年にスタジオシップを退社[2]

1976年から『週刊少年サンデー』誌上で連載開始した、ボクシング漫画『がんばれ元気』では一転してギャグを使わず、少年の成長物語を描いた[10]。同作は5年間の長期連載作となり、1977年には第22回小学館漫画賞少年少女部門を受賞。そして、1980年に自身初のテレビアニメ化作品になった。このころ、『週刊少年ジャンプ』の西村繁男編集長や本宮ひろ志に見込まれ、手塚賞の審査員を務めたが、引き抜きには応じなかった。

1980年代はディストピアSF漫画『愛がゆく』、スピリチュアル陸上漫画『スプリンター』、青春ファンタジー漫画『チェンジ』などで異彩を放っていたが、『少年ビッグコミック』が青年漫画誌『ヤングサンデー』へリニューアルし、久々に『週刊少年サンデー』で連載した『少年』が不可解な打ち切りになるなど、少年漫画誌の地殻変動を受けたこともあり、1990年代に入ると『ビッグコミック』系の青年漫画誌へホームグラウンドを移していく。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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