小尾 信彌
(おび しんや)
生誕 (1925-03-17) 1925年3月17日
日本 東京府
死没 (2014-09-28) 2014年9月28日(89歳没)
研究分野天体物理学
研究機関東京大学
放送大学
出身校東京帝国大学
主な受賞歴勲二等瑞宝章(2000年)
プロジェクト:人物伝
小尾 信彌(おび しんや、1925年3月17日 - 2014年9月28日)は、日本の天文学者。専門は、天体物理学。 東京府(現・東京都)出身。萩原雄祐の弟子だが[1]、同じく萩原門下で小尾の兄弟子にあたる畑中武夫にも師事した[2]。 本郷区立誠之小学校、成城高等学校 (旧制)卒業。東京帝国大学理学部天文学科卒業後、技官として東京天文台(現・国立天文台)で活動していたことからもわかるように、戦後の東京天文台における観測装置復旧の最初期の技術者でもあった。そのことから、萩原雄祐から習った天体物理学のみならず、畑中武夫の観測装置開発手法を学んだ。どちらかと云えば、研究者としてより、教育者として知られ、そのため多くの啓蒙書を翻訳または著述し多くの天文家に親しまれている研究者でもある。 天文学者の村山定男とは小学校時代の同級生である[3]。2014年に老衰で死亡[4]。
目次
1 人物
2 略歴
3 業績
4 著書
4.1 単著
4.2 共著
4.3 編著
4.4 訳書
4.5 監訳書
5 参考文献
6 脚注・出典
人物
略歴
1946年:東京帝国大学理学部天文学科卒業[5]。
1947年:東京大学理学部助手。
1950年:東京大学東京天文台技官となる。
1953年:東京大学教養学部助教授に就任。
1956年:理学博士号を取得。
1958年:アメリカ空軍ケンブリッジ研究所の研究員となる[6]。
1961年:帰国[6]。
1968年:東京大学教養学部教授に就任[5]。
1958年:ワシントンウッドロー・ウィルソン国際学術センターの客員研究員となる[5]。
1985年:東京大学を退官、放送大学教授に就任[5]。東京大学名誉教授。
1989年:放送大学副学長に就任。
1992年:放送大学長に就任。
1998年:放送大学長を退任。放送大学学園顧問。
2000年:秋の叙勲で勲二等瑞宝章受章。
業績
国立天文台三鷹キャンパス内の大赤道儀室の望遠鏡の復旧を行う。
太陽観測及び天体観測において、恒星進化の研究を中心として行う。日本国内における恒星物理学的観測研究の魁となる。野辺山太陽電波観測所などの設営チームに加わる。
弟弟子として畑中武夫の没後、畑中の弟子の教育を引き受ける。森本雅樹など。
分かりやすくをモットーにして、数多くの啓蒙書の著述を引き受ける。
著書
単著
『宇宙を探る』(河出書房新社 1963年)
『宇宙の科学』(日本放送出版協会 NHKブックス 1965年)
『恒星の世界・星』(恒星社厚生閣 新天文学講座6 新版 1965年)
『太陽系の科学』(日本放送出版協会 NHKブックス 1968年)
『宇宙科学と地球科学・宇宙の構成』(明治図書 現代科学入門 1968年)
『太陽系と宇宙』(バーナード ラベル みすず書房 1969年)
『宇宙とはなにか』(講談社 ブルーバックス 1971年)
『星』(三省堂 三省堂選書 1971年)
『星のことば』(玉川大学出版部 1974年)
『爆発する宇宙』(日経サイエンス社 1974年)
『超新星とブラックホール』(日経サイエンス社 1974年)
『宇宙のはなし』(通信事業教育振興会
『宇宙の進化』(朝日出版社 エピステーメー叢書 1977年)
『宇宙観のルネッサンス』(玉川大学出版部 1977年)
『惑星の素顔』(日経サイエンス社 別冊サイエンス 1977年)
『星座と神話99の謎』(産報ジャーナル