小宮隆太郎
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小宮 隆太郎日本学士院より公開された肖像写真
生誕 (1928-11-30) 1928年11月30日
京都府京都市
死没 (2022-10-31) 2022年10月31日(93歳没)
東京都練馬区
国籍 日本
研究機関(機関)スタンフォード大学
東京大学
通商産業研究所
青山学院大学
研究分野国際経済学日本経済研究、現代中国経済研究[1]
母校東京大学経済学部
影響を
受けた人物木村健康ワシリー・レオンチェフ
影響を
与えた人物

中馬弘毅 · 三村明夫 · 斎藤精一郎 · 榊原英資 · 薄井信明 · 竹島一彦 · 岩田規久男 · 八代尚宏 · 岩井克人 · 石川経夫 · 三輪芳朗 · 山本幸三 · 須田美矢子 · 白川方明 · 太田房江 · 中曽宏 · 小田原潔ほか多数
実績戦後日本における経済学の発展に多大な貢献
受賞文化功労者(1996年)
文化勲章(2002年)
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小宮 隆太郎(こみや りゅうたろう、旧字体:小宮 隆太カ、1928年昭和3年)11月30日 - 2022年令和4年)10月31日)は、日本経済学者。位階は従三位東京大学名誉教授・青山学院大学名誉教授。国際経済学日本経済中国経済の3つの分野での実証的な研究を行った業績で知られる[1]。また、多くの日本の経済論争に中心人物としてかかわっている。2002年、文化勲章受章。
経歴

1928年11月30日京都市で生まれる。父は京都大学電気工学科出身の日立製作所に勤めるエンジニアであった。小学生のときに父親の転勤で東京都大森へ転居。旧制東京高等学校を経て、1949年東京大学へ入学し、木村健康ゼミへ入る。当時の東京大学経済学部ではマルクス経済学が主流で、木村ゼミは少数派の近代経済学だった。1952年経済学部を首席で卒業。卒業式で答辞を読み上げる。その後、大学院特別研究員として数理経済学産業連関分析ゲームの理論を学び、1955年に東京大学助教授として採用される。

1956年から3年間、奨学金をもらいアメリカ留学1957年にはハーバード大学経済研究所員となり[2]ワシリー・レオンチェフのもとで産業連関分析などの実証研究を行った。それとともに、身近な経済問題を経済学の理論に基づいて考える大切さや、論文の書き方、そして師弟も学業が終われば対等であると学んだことを留学の成果としている。また、留学中に都留重人篠原三代平チャールズ・キンドルバーガーヤン・ティンバーゲンジョージ・ダンツィグらと交流している。

その後、1964年から1965年にかけてスタンフォード大学客員教授を務めたあと、1969年から東京大学経済学部教授に就任し、1989年の60歳定年まで務めた。その間、多くの学者官僚政治家をゼミから輩出している。また、経済学部長および総長特別補佐を歴任した。

小宮ゼミ出身者名前経歴生年
中馬弘毅衆議院議員自治政務次官運輸総括政務次官、行政改革担当大臣規制改革担当大臣構造改革特区担当大臣1936


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