小室ファミリー(こむろファミリー)とは、音楽プロデューサーの小室哲哉(Tetsuya Komuro、TK)を中心にした芸能人ファミリー。同人がプロデュースまたは楽曲提供した歌手たちを呼ぶ総称であり、TKファミリーとも呼ばれる。 ファミリー入りするための定義はないが、小室プロデュースの曲が代表曲になると、たとえ1曲の提供であってもファミリーだと世間的に認知されることが多い。また、小室の右腕とされる久保こーじのプロデュースも含まれ、小室ファミリーと定義される歌手は100組を軽く超えるとされる。 ただし篠原涼子(TPD時代を含む)やtrfをはじめ、小室がプロデュースするのはおおむね2年から3年程度であり、globeのように10年も続くというのは稀有である。これは契約期間が最初から定まっているためであり、「いずれは小室の手から離れてアーティストを送り出す」という意味合いもある(「#衰退期」の項も参照)。 またビーイング所属アーティスト同様、dosやTrue Kiss Destinationなど、解散宣言が出されないまま自然消滅したグループもある。 1980年代に世界的人気を誇る歌手を多数輩出した、ストック・エイトキン・ウォーターマン(以下、SAW)のプロデュース手法を参考にしている。実際に、1988年に小室自身が海外でSAWと共同作業を行った経験があり、日本と海外の音楽市場の間の絶望的なまでの格差を思い知らされると共に、スタジオ・ワークの面白さにも目覚めている。 1994年から1997年の3年弱、小室哲哉のプロデュース楽曲がオリコンチャートの上位を埋め尽くす現象が発生した。メディアはこれを小室ブームと評した。 1991年頃、松浦勝人と対面した際に松浦からTMの楽曲をユーロビート調にアレンジしたリミックスアルバム「TMN SONG MEETS DISCO STYLE しかし、小室がavex traxとライセンス契約を結んだ際、EPIC内では「他社のアーティストをプロデュースするなんて契約違反だ!」「法的には何の問題もないが義理としてはどうか」「EPICはロックのレーベルなのに、ダンスなんて軽薄だ」と議論が巻き起こった。これは当時の音楽業界では「音楽プロデューサーはレコード会社の社員・元アーティストの専属契約」であることが多かったためといわれる。その問題に対応するためにtrfデビューの際、TMのメンバー・ソロミュージシャンとしての契約は引き続きEPICと結びながら、音楽プロデューサーとしてはフリーランスであるために、個人事務所「OPERA GIG(後にTK stateに改名)」を設立し、小室は音楽に関する全てのコンセプトを立てた。それをスムーズに実行させるために、丸山茂雄は「アーティスト主導・レパートリーの管理に特化した芸能事務所」をコンセプトに「アンティノス・マネジメント(後のブルーワンミュージック→現ソニー・ミュージックアーティスツ)」を設立、小室は第一号契約者となった[注釈 1][8]。それと同時に丸山が小室の個人事務所とフリー契約を結び、avexとの橋渡し役を務めた[9][10]。形態として「avexに小室を貸している」[11]「演奏権は確かにEPIC側が持っているが、打ち込まれたデータの再生は演奏ではない」[10]と丸山が体裁を保障することで契約問題を乗り越え、その見返りとして本来小室に支払われる活動収入・印税の内「原盤権で生じる印税」「実演家としてのアーティスト印税」を丸山が[10]、「エイベックスとの仕事で生じた小室の収入の数%」をEPICが頂く[11]形をとり[注釈 2]、「作詞・作曲・編曲・プロデュースを中心とした売上中1?5%の著作権印税」[13][14]「音楽プロデューサーとしての活動で生じる収入」[注釈 3]「テレビ・イベント等への出演料」[12]は小室の取り分になった。
概要
小室ブーム
初期