小坂 一也
出生名小坂 一也
生誕 (1935-05-30) 1935年5月30日
出身地 日本・愛知県名古屋市
死没 (1997-11-01) 1997年11月1日(62歳没)
学歴成城学園高等学校中退
ジャンルカントリー
歌謡曲
ロカビリー
職業歌手
俳優
担当楽器ボーカル
ギター
活動期間1952年 - 1997年
レーベルコロムビアレコード
事務所グランパパプロダクション
共同作業者ワゴン・マスターズ
エルヴィス・プレスリー
ロックンロール
小坂 一也(こさか かずや、1935年5月30日[1][2] - 1997年11月1日[2])は、日本の歌手、俳優。本名は同じ[1]。
愛知県名古屋市出生[2]、東京都出身[1][2]。成城学園高等学校[1]中退[2]。竹内事務所[3]、六月劇場[4]、グランパパプロダクションに所属していた[1]。 愛知県名古屋市に小坂文男の子として生まれ、東京で育つ。小学校から高校まで成城学園で学ぶ。元衆議院議員の羽田孜とは同級生で親交が深かった。中学時代には小澤征爾や松尾勝吾(松尾雄治の叔父)などと共にラグビー部に所属。高校時代からバンド活動を始め、進駐軍のキャンプ場などで演奏して回る。 1952年にワゴン・マスターズにボーカルとして参加。高校中退後の1954年、コロムビアレコードから「ワゴン・マスター」でデビューし、カントリーミュージックのアイドル的な存在として人気を博す。他に「青春サイクリング」などのヒット曲がある。また、1956年からはいち早くエルヴィス・プレスリーのカバーにも力を入れており、「元祖和製プレスリー」とも呼ばれるなど日本で最も早くロックンロールを発表した一人でもある。『NHK紅白歌合戦』にも3回連続出場した(詳細は#NHK紅白歌合戦出場歴参照)が、初年度が「ハートブレイク・ホテル」であり、当時としては異例の「NHKでロックンロールを歌った」歌手でもある。 1957年に映画デビュー、東宝・松竹の映画に出演した。当初は劇中の歌手の一人という形での出演であったが、俳優としての素質を認められ、1958年に松竹と契約した。同年の木下惠介監督の『この天の虹』での演技で注目され、以降の木下作品にも出演する。現代的な若者らしい演技で多くの映画に出演し、やがて松竹映画には欠かせない俳優となっていった。 その後もテレビドラマ・映画に存在感のある演技派として着実に出演を続けた。私生活では1974年1月、長年の同棲相手だった女優の十朱幸代と挙式する(未届けの事実婚)が、同年中に破局している。1977年に一般人と再婚。 1990年に少年期の回想記『メイド・イン・オキュパイド・ジャパン』を河出書房新社で刊行した(小学館文庫で再刊、2022年)。 晩年も闘病生活の中で俳優・歌手として活動したが、1997年11月に食道ガンのため死去[5]。62歳没。墓所は多磨霊園。戒名は釈一声で、宗派は浄土真宗。
来歴
歌手として
俳優として
晩年
ディスコグラフィー
シングル(SP)
コロムビア(小坂一也とワゴン・マスターズ)
ワゴン・マスター/モンタナの月(1955年2月 JL-123)
デビイ・クロケットの唄/カウ・ライジャ(1955年9月 JL-149)
ジングル・ベルズ(1955年10月 JL-159、B面は旗照夫、ダーク・ダックスの「ホワイト・クリスマス」)
ヘイ・ミスター・バンジョー/沙漠に帰る男(1955年11月 JL-158)
テキサスの黄色いバラ/荒野の呼声(1955年12月 JL-161)
キャットル・コール/魔法の谷間(1956年1月 JL-165)
テキサスの恋唄 / ヒュッテのランプ (1956年1月 A-2442。A面は中島そのみとの共演。バックはワゴン・マスターズ)
シックスティーン・トンズ/モンタナの夜(1956年3月 JL-170)
東京チャチャ / チャチャチャ天国(1956年3月 A-2485。B面は中島そのみとの共演)
ビリー・ザ・キッドの物語(1956年5月 A-2535。B面は中島そのみ「西部の姐御」)
銀座横町(1956年6月 A-2553。B面は中島そのみとワゴン・マスターズの「西部のM型娘」)
ウイチタの保安官/ライダース・イン・ザ・スカイ(1956年8月 JL-175)
ハートブレイク・ホテル(1956年8月 JL-177、B面は旗照夫の「捜索者の唄」)
インディアンの襲撃(1956年10月 A-2625。B面は中島そのみとワゴン・マスターズの「赤い月の下で」)
フィドル弾きのジョー/夢の幌馬車(1956年11月 A-2626)
さすらいの旅人/君を求めて(1956年12月 JL-178)
誇り高き男/冷くしないで(1957年1月 JL-179)
雨に歩けば/やさしく愛して(1957年1月 JL-180)
ブルースを唄おう/ブルーベリィ・ヒル(1957年2月 JL-182)
ジャイアンツ/アイ・ウォント・ユー・アイ・ニード・ユー・アイ・ラヴ・ユー(1957年3月 JL-181)
サボテンの花が咲いている/テキサスから来た男(1957年7月 A-2844)
僕は風来坊(1957年7月 A-2845。B面は前田通子の「海女の慕情」)
海の男は純情さ/オンボロ人生(1958年1月 A-2939)
コロムビア(小坂一也)
東京の娘さん/青いこだま(1956年12月 A-2661)
炭坑節(1957年3月 A-2725。B面は中島そのみとワゴン・マスターズの「カゴシマ・オハーラ」)
青春サイクリング(1957年4月 A-2777。B面は湯川きよ美と藤田進の「愛のそよ風」)
俺らは船乗り/僕は惚れちゃった(1957年6月 A-2782)
心にしみるブルース/オレンジ色の空(1958年3月 A-2996)
山は青春(1958年5月 A-3025。B面は朝丘雪路の「白いヨット」)
キャンプたのしや(1958年6月 A-3050。A面はコロンビア・ローズの「山びこさんごきげんさん」)
青春の広場 / そよ風のポルカ (1958年11月 A-3120)
シングル (7インチ)
コロムビア(小坂一也とワゴン・マスターズ)
シックスティーン・トンズ/ワゴン・マスター(1956年9月 SB-1)
国境の南/テキサス・タンゴ(1956年9月 SB-3)
モンタナの月/デビー・クロケットの唄(1956年10月 SB-5)
ハートブレイク・ホテル(1956年10月 SB-6、B面は旗照夫の「サヨナラの唄」)
サンタクロースがやって来る/赤鼻のとなかい(1956年11月 SB-8)
誇り高き男(1956年10月 SB-9、B面は沢村みつ子の「ケ・セラ・セラ」)
アイウォントユー・アイニードユー・アイラヴユー/風来坊の唄(1956年11月 SB-10)
冷くしないで/雨に歩けば(1957年1月 SB-13)
君を求めて/さすらいの旅人(1957年2月 SB-14)
優しく愛して/ジャイアンツ(1957年2月 SB-15)
ブルースを唄おう/ブルーベリィ・ヒル(1957年3月 SB-17)
テキサスの黄色いバラ/カウ・ライジャ(1957年4月 SB-18)
特別急行列車/ジェット・ソング・バラード(1957年4月 SB-19、ワゴン・マスターズ名義)
モンタナの夜/荒野の呼び声(1957年5月 SB-21)
ラブ・ミー/幽霊の町(1957年6月 SB-23)
ヤング・ラブ/ドント・フォービッド・ミー(1957年6月 SB-24)
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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