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小國神社
拝殿
所在地静岡県周智郡森町一宮3956-1
位置.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯34度50分51秒 東経137度53分57秒 / 北緯34.84750度 東経137.89917度 / 34.84750; 137.89917座標: 北緯34度50分51秒 東経137度53分57秒 / 北緯34.84750度 東経137.89917度 / 34.84750; 137.89917
主祭神大己貴命
社格等式内社(小)
遠江国一宮
旧国幣小社
別表神社
創建(伝)欽明天皇16年(555年?)
本殿の様式大社造
例祭4月18日
主な神事小國神社の田遊び
小国神社の舞楽
地図
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大鳥居
小國神社(おくにじんじゃ、小国神社)は、静岡県周智郡森町一宮にある神社。式内社、遠江国一宮。旧社格は国幣小社で、現在は神社本庁の別表神社。神紋は「右三つ巴」。
本宮山の南側の山麓に鎮座する。境内は秋には紅葉の名所として有名である。 創建時期は不明だが、社伝によれば、欽明天皇16年(555年?)2月18日、現在地より6kmほど離れた本宮山に神霊が示現したので、勅命によりそこに社殿が造営されたのに始まる。なお、このときに正一位の神階が授けられたと社伝にはあるが、国史での当社の初見である『続日本後紀』承和7年(840年)6月14日条では「遠江国周智郡の無位の小国天神(中略)に従五位下を授け奉る」と記されている。六国史終了時の神階は従四位上である。 『延喜式神名帳』では小社に列している。皇族や武将の信仰が篤く、遠江国一宮として崇敬を受けた。当社を一宮として記載する史料の最初は、1235年の「当国鎮守小国一宮」という記述である。江戸時代には「一宮神社」と称していた。 中世以降、朝廷の衰退により勅使が廃れたが、室町時代、戦国時代を通じて祭祀が途断えることはなかった。元亀3年(1572年)、甲斐の武田信玄が遠江に侵攻した際、徳川家康に味方した。天正3年(1575年)、徳川家康が社殿を再建し、江戸時代に入ってからも歴代の将軍が社殿の造営や営繕、社領の寄進を行っている。 明治5年(1873年)に県社に列格し、翌明治6年(1874年)には国幣小社に昇格した。
祭神
大己貴命(おおなむちのみこと)
歴史
境内
社殿
社殿前鳥居
神幸所
勅使道杉並木
事待池
摂末社
奥磐戸神社
並宮
八王子社
宗像社
飯王子社
塩井神社
瀧宮
愛宕社
白山社
全國一宮等合殿社 - 全国一宮等の祭神73柱を祀る。かつては73柱を祀る境内社が境内各地にあったが、明治初年の本社焼失に伴い、明治15年からは境内末社八王子社に合祀されていた。平成元年に独立の境内社として再建された。
鉾執社
八王子社
宗像社
飯王子社