小原 新三(おはら しんぞう、1873年(明治6年)3月13日[1] - 1953年(昭和28年)6月27日[2])は、日本の内務・朝鮮総督府官僚。官選県知事、錦鶏間祗候。俳号・烏兎(うと)[2]。 東京府出身。新潟県庶務課長を務めた[3]小原実の長男として生まれる[1]。第一高等学校を卒業。1897年、東京帝国大学法科大学政治学科を卒業。同年12月、文官高等試験行政科試験に合格。貴族院事務局に入局した[1][4]。 1898年、貴族院事務局書記官兼内務省参事官に就任。以後、青森県事務官、奈良県内務部長を歴任。1910年10月、朝鮮総督府に転じ内務部地方局長に就任。さらに、忠清南道長官を経て、1916年10月、総督府農商工部長官となる[1][2]。 1920年2月、和歌山県知事に就任。不況下での緊縮予算の編成を実施。財政難のなか、1923年の郡制廃止に伴い郡立施設の県立への移管を進めたが、県吏員の人員整理や消耗品等の減額を余儀なくされた[1]。1923年6月、新潟県知事に転任。1925年10月18日、知事を依願免本官となり退官した[3][4]。 その後、松江市に隠棲したが、1931年、愛国婦人会事務総長に就任し1942年まで在任した[2]。1932年9月27日、錦鶏間祗候を仰せ付けられた[5]。
経歴
栄典
位階
1910年(明治43年)12月20日 - 正五位[6]
勲章等
1940年(昭和15年)8月15日 - 紀元二千六百年祝典記念章[7]
著作
述『行政法 各論之部』東京法学院32年度第3年級講義録、東京法学院 、1899年。
述『汎論行政法』日本法律学校33年度第3部法学講義、日本法律学校、1900年。
『日本衛生行政法要義』日本警察講習会、1901年。
『国法学要義』水野書店、1901年。
『行政法汎論』帝国百科全書;第87編、博文館、1902年。
『行政法各論』帝国百科全書;第91編、博文館、1902年。
口述『帝国議会府県会郡会市町村会議員必携』博文館、1903年。
『衛生行政法釈義』金港堂、1904年。
『中等教育法制教科書』日本大学、1906年。
『日本警察法汎論』清水書店、1909年。
『地方議会の道義化及地方自治』大阪屋号書店、1926年。
『小原実翁と同喜美刀自:附 榊原直子刀自の追懐』小原新三、1926年。
脚注^ a b c d e 『新編日本の歴代知事』740頁。
^ a b c d 『和歌山県史 人物』101-102頁。
^ a b 『新編日本の歴代知事』407頁。
^ a b 『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』178頁。
^ 『官報』第1725号、昭和7年9月28日。
^ 『官報』第8251号、「叙任及辞令」1910年12月21日。
^ 『官報』第4438号・付録「辞令二」1941年10月23日。
参考文献
歴代知事編纂会編『新編日本の歴代知事』歴代知事編纂会、1991年。
秦郁彦編『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』東京大学出版会、2001年。
和歌山県史編さん委員会編『和歌山県史 人物』和歌山県、1989年。