小原怜
[Wikipedia|▼Menu]
.mw-parser-output .hatnote{margin:0.5em 0;padding:3px 2em;background-color:transparent;border-bottom:1px solid #a2a9b1;font-size:90%}

ベーシスト、作曲家の「小原礼」あるいは動物写真家の「小原玲」とは別人です。

小原 怜

マラソングランドチャンピオンシップ
(2019年9月15日撮影)
選手情報
フルネーム小原 怜
ラテン文字Rei Ohara
国籍 日本
所属天満屋
生年月日 (1990-08-10) 1990年8月10日(33歳)
生誕地岡山県倉敷市
身長165cm
体重49kg
自己ベスト
1500m4分19秒16
3000m9分11秒11
5000m15分40秒60
10000m31分48秒31
ハーフマラソン1時間09分17秒
マラソン2時間23分20秒
編集 

小原 怜(おはら れい、1990年8月10日 - )は、日本女子の陸上競技選手。専門種目は中距離走長距離走マラソン。主な実績に、2015年世界陸上北京大会女子長距離走(10000m日本代表(22位)、2016年名古屋ウィメンズマラソン3位、2019年大阪国際女子マラソン2位、同年マラソングランドチャンピオンシップ3位など。
人物・経歴
学生時代?実業団入り後

1990年8月10日岡山県倉敷市出身。倉敷市立西中学校卒業後、高校は全国高等学校駅伝競走大会女子の部常連出場・強豪校の興譲館高等学校(岡山県井原市)に入学。高校在学時は森政芳寿監督の指導を受け、頭角を現し始める。尚、全国高校駅伝・女子の部には3年連続で出場した。

高校1年生時の第18回全国高校駅伝(2006年)は、3区・3Kmを出走し区間3位(総合2位)。2年生時の第19回全国高校駅伝(2007年)は、2区・4.0975kmを出走し区間3位(総合3位)。3年生時に第20回全国高校駅伝2008年)は、最長区間の1区・6kmに出走して区間賞を獲得したが、最後の高校駅伝での興譲館高校は女子総合2位に終わり、念願の全国高校駅伝・総合優勝は果たせなかった。

興譲館高校卒業後の2009年4月、岡山市実業団チーム・天満屋へ入社し、女子陸上競技部に所属。天満屋には同じく興譲館高校出身で3年先輩だった重友梨佐ロンドン五輪女子マラソン日本代表)を始め、ほかチームOGでは中村友梨香北京五輪女子マラソン代表)、坂本直子アテネ五輪女子マラソン7位)、山口衛里シドニー五輪女子マラソン7位)などが居た。

2010年の第30回・全日本実業団対抗女子駅伝競走大会では2区(3.3Km)に出場し、天満屋チームの総合初優勝にも大きく貢献した。
世界陸上北京大会・女子長距離走初選出

2015年6月の第99回日本陸上競技選手権大会・女子10000mでは、32分08秒59の第3位に入賞し、世界陸上北京大会・女子長距離走の種目に初選出される。また同年7月のホクレンディスタンスチャレンジ・網走大会女子10000mでは、自身初となる31分台(31分48秒31)で3位に入った。しかし同年8月に開催された世界陸上北京大会・女子10000mでは、世界強豪の女子選手らのハイペースについていけず、32分47秒74の第22位に終わった。

同年12月の山陽女子ロードレースハーフマラソンの部では、優勝のカプチッチ・セリー・チェピエゴ(九電工)に次ぐ日本人トップの2位に入り、自己記録・岡山県女子記録となる1時間9分17秒をマークした。

2017年1月15日都道府県対抗女子駅伝では、岡山県チームのアンカーで出場。自身途中で6チームを抜く区間賞を獲得するも、優勝した京都府チームの筒井咲帆ヤマダ電機)にゴール地点・西京極陸上競技場トラックで猛迫したが、僅かに2秒及ばず準優勝だった。

それから2週間後、同年1月29日開催の大阪ハーフマラソン・女子の部(陸連登録)では、1時間10分02秒で優勝を果たした(同日開催の大阪国際女子マラソンでも、同じ天満屋所属の重友梨佐が、同マラソンで5年振り2回目の優勝を達成)。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:45 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef