小児病棟_(小説)
[Wikipedia|▼Menu]

小児病棟
(しょうにびょうとう)
作者
江川晴
日本
言語日本語
ジャンル小説
初出情報
初出『読売新聞1980年5月26日 - 5月30日
出版元読売新聞社
刊本情報
出版元読売新聞社
出版年月日1980年10月23日
作品ページ数67
総ページ数269
id.mw-parser-output cite.citation{font-style:inherit;word-wrap:break-word}.mw-parser-output .citation q{quotes:"\"""\"""'""'"}.mw-parser-output .citation.cs-ja1 q,.mw-parser-output .citation.cs-ja2 q{quotes:"「""」""『""』"}.mw-parser-output .citation:target{background-color:rgba(0,127,255,0.133)}.mw-parser-output .id-lock-free a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-free a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/6/65/Lock-green.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-limited a,.mw-parser-output .id-lock-registration a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-limited a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-registration a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/d/d6/Lock-gray-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-subscription a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-subscription a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/a/aa/Lock-red-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-ws-icon a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/4/4c/Wikisource-logo.svg")right 0.1em center/12px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-code{color:inherit;background:inherit;border:none;padding:inherit}.mw-parser-output .cs1-hidden-error{display:none;color:#d33}.mw-parser-output .cs1-visible-error{color:#d33}.mw-parser-output .cs1-maint{display:none;color:#3a3;margin-left:0.3em}.mw-parser-output .cs1-format{font-size:95%}.mw-parser-output .cs1-kern-left{padding-left:0.2em}.mw-parser-output .cs1-kern-right{padding-right:0.2em}.mw-parser-output .citation .mw-selflink{font-weight:inherit}NCID BN0371835X
受賞
女性ヒューマン・ドキュメンタリー 第1回優秀賞
ウィキポータル 文学 ポータル 書物
テンプレートを表示

『小児病棟』(しょうにびょうとう)は、日本小説。著者は江川晴看護師としての小児病棟の勤務経験のある江川の実体験をもとにした作品であり、小児病棟の先天性異常児など様々な小児たちに接する主人公の看護師を通じて、看護師の目から見た医療の現場、看護師自身の苦悩を綴った作品である[1]読売新聞社主催、カネボウ後援による「女性ヒューマン・ドキュメンタリー」の第1回優秀賞受賞作品。1980年(昭和50年)5月26日から5月30日にかけて読売新聞誌上で掲載された後[2]、同1980年10月に単行本が刊行された。同1980年12月には、同賞の優秀作品をテレビドラマ化する「カネボウヒューマンスペシャル」の第1作として[3]、同名のテレビドラマとして日本テレビ系列で放映された[4]
あらすじ

昭和50年10月[5]。A大附属病院の新米看護師の香山モモ子は、それまでの高齢患者ばかりの病棟から、小児病棟の勤務となる[5][6]。モモ子は子供好きで、小児病棟を「おとぎの国のよう」と憧れていたものの、実際には病棟では、諸々の事情で手を焼かせる子供たちや、聴覚障害で医師との会話もままならない子供たちが、医師や看護師たちを困らせている[5][6]。モモ子は最初こそ、期待を裏切られた思いを抱きつつも、子供たちに献身的に尽くし、思いを通じ合わせてゆく[7]

モモ子はその実績が評され、特別病室の小児の担当となる[7]。その患者は通称「タロウ」と呼ばれる、両目も四肢も欠く奇形児であり[7]、病院では母親に死産と偽りつつ、実験動物のように生かされ続けている[7][8]。モモ子は最初は驚きつつも、次第にタロウに愛情を寄せ始め[8]、病院でのタロウの扱いの方針に葛藤を抱く[9]。病院側は「あれは人間ではない」と言い放つが、モモ子は「彼は人間」と主張する[10]。モモ子の呼びかけに、タロウがかすかな笑顔を見せたことで、モモ子とタロウの意思疎通が可能なことが証明され、医師たちは感嘆する[10]

やがてある夏の日、タロウは重病によって死亡する[11]。タロウは病院側による葬儀と、大勢の参列者たちによって、最期を見送られる[11]。タロウの父は病院に、息子が人間として死を迎えることができたことを感謝しつつ、帰ってゆく[11]
登場人物
香山 モモ子
主人公。高等看護学校を卒業して2年目の21歳
[12]
小川 怜子
モモ子の同級生で同僚[12]
木原
小児病棟の主任[13]
西牧
タロウの担当の医師[14]
製作

カネボウでは1980年代を女性の時代と位置づけ、これからの女性の理想像を描くと共に、総合的な人間形成を目的とした「レディ '80宣言」を行なった[15]。これに呼応する形で、女性の知的社会の実現を目指す文学賞「読売・女性ヒューマン・ドキュメンタリー大賞」が設置された[15]。女性に創作と社会的発言の場を提供して、女性文化の草の根を伸ばすことが目的であり、応募者は女性に限定された[16]。第1回での応募総数は日本国外も含めて、213点にのぼったが[17]森敦佐藤愛子橋田壽賀子平岩弓枝山田太一の5人の厳正な審査の結果[17]、大賞に該当する作品は無く、大賞に準ずる作品として優秀賞が設けられ[18]、最も票数の多かった作品として優秀賞を受賞した作品が、本作である[18][19]

著者の江川晴は、実際に看護師としての勤務経験があり[20]、本作は結婚までの3年間の勤務体験と[21]、育児を経て看護師に復職後の経験をもとにした作品である[1]。特に復職後の配属先は、先天性異常児を抱える小児病棟であり、江川が受けた衝撃、看護師としての目から見た医療の現場、看護師自身の苦悩を訴える作品として、本作が製作された[1]。江川は結婚後に二子を育てており、「子供を育てなかったら小児病棟は勤まらなかったし、作品も書けなかった」とも語っている[21]

また江川は昭和40年代から、看護師不足によるストライキに毎年参加していたが、ストライキは患者たちを見放す行為に等しく、看護師の仕事に対する気持ちを世間に訴える他の方法を考えていたときに、作品募集を知ったことも、製作のきっかけとなった[16]


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:80 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef