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外科学(げかがく、英: surgery)は、手術等によって創傷および疾患の治癒を目指す臨床医学の一分野である。外科学は外科的手法を用いる全ての分野を包括する基礎となる学問である。
対照的に内科学がある。
歴史穿頭治療を行ったと考えられる石器時代の人間の頭蓋骨。切り口の様子から頭を開いた後も生きて自己治癒していたことが読み取れる。
体を切り開いて、患部を治療する考えは古くから存在した。証拠として残っている例としては、ヨーロッパ、シベリア、中国、南北アメリカなどから発見される石器時代の5-10%の頭蓋骨に見られる穿頭の痕である[1][2][3]。
16世紀頃の欧米では、主に医学は内科学が主流とされ、理容師(理髪外科医)が外科的処置を行っていた。その時期の名残として理容店の赤・青・白の看板(サインポール)はそれぞれ動脈・静脈・包帯を意味すると言われている。
東洋医学では、周時代の諸制度を記した『周礼』に瘍医という役職があるが、これは体の表面にできる腫物や傷などに対処するものであった[4]。14世紀には内科と外科の分化が確認されるが、あくまで患部箇所の違いに基づくもので、本格的な分化は南蛮医学の伝来に触発されて以後のことになる。
現在でも英語圏では「physician(内科医)」が臨床医の名称とされ、「physician(内科医)」と「surgeon(外科医)」と、名称から区分されていることも少なくない。
19世紀以降麻酔法が確立され、また戦後人工心肺の開発などで急速に発展を遂げていった。 日本において、外科という言葉は、『太平記』で初めて用いられた。室町時代に多用されるようになり、同義語の外境という言葉も見られるようになった[4]。1559年に作られた国語辞書である『いろは字書』では、「げききょうしゃ(外痙者、外経者、外境者)」を外科医と説明した。 16世紀中頃には、戦場の傷を外科的に処置する金創医と呼ばれる外科医達が登場した[4]。 江戸時代には、金瘡が発展し、さらに南蛮の医学とも融合し、記録に残る限り、世界で最古の全身麻酔手術を成功させた華岡青洲などが出た。 もともと内科学が内分泌学や呼吸器学などのように臓器・機能別に専門化されていったのに対し、外科学は手技に基づく観点から頭部、胸部、腹部、四肢というように身体の部位別に専門化されていった。 例えば内科学において内分泌学は主に下垂体、甲状腺、副腎などの内分泌臓器の疾患を扱う分野であるが、外科学においては下垂体疾患は脳神経外科学、甲状腺疾患は甲状腺外科学、副腎疾患は泌尿器科学というように別々の領域として取り扱われる。
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